「文句のつけようが無い好評価」は「ダメだった」と受けとめられるかも

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先日の【だれにでもある、と言われている「認知のくせ・ゆがみ」のお話】に関連しそうな話。漫画家先生のお話ではあるんだけど、何らかの創作物を作る人には共通の悩みどころかな。評価をする側は文句のつけようが無い、マイナスとなる部分が無いから何も言わない、それが良い評価を意味すると思っていても、作り手側、つまり評価を受ける側は「何も言ってもらえないってことはダメだったのかな?」と考えてしまう。だから悪いところは悪いと言うのと同じように、良いところは良いとちゃんと言葉にして伝えてほしいというもの。

これって結構難しいのよね。ネガティブな意見ってのは結構文言にしやすいし、伝えたくもなるけど、良いものって自分で満足しちゃって作り手には伝えにくい。良い作品を自分の知り合いなどに口コミで知らせることは良くあるんだけど、なぜか当事者には伝えないことが多い。なんでだろう。料理を食べた時に何か問題点があった時にはお店の人を呼ぶけど、とても美味しくても滅多に褒めるために呼ぶことは無いのと同じなのかな。あるいは褒める行為自身が苦手なのかもしれない。


料理で何かを作ってもらう際に「何でもいい」と答えてしまうとか、何故その商品を好きなのかを聞かれた際に「何となく」と返事してしまうとか、漠然とした包括的なイメージで答えられると、咀嚼されていないなと思ってしまうってのは良くわかる(子供の読書感想文での「よかったと思います」「僕もそうだと思います」と同じってところか)。良くても悪くても具体的なポイントを指摘されると、少なくともその部分は目を通した、理解したってのが確認できるからね。

でも、自分の素直な感想が、作り手の方々の糧(かて)になるのだとしたら、評価をする側も何となくやる気が出てくるというもの。少なくとも当方はそう思うな。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月 9日 06:23に書いた記事です。

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