青色LEDのノーベル賞受賞で分かったこと

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コメンテイターって今件に限らず、コメントの存在意義そのものを「ブログのスパムコメント」レベルにまで落としてるよねぇ、ってことはそのコメントを語るコメンテイターもその程度の以下略という話はさておくとして。ノーベル賞を受賞した三人の経歴や実績、これまでのあれこれを今回の受賞話をきっかけに多方面から調べ直してみると、上で指摘されていることに十分頷けるところがあったりする。「2)諦めない、流行に媚びない事で開ける道もある」ってのは「もある」ってのが悲しい現実で、種をまきつづけても結局芽が出ないこともあるかもしれないって意味も含まれていることに気が付いて、色々と複雑な想いも。

ある程度体力を有する企業などは、中長期的なスタンスをとるのであれば、1)から3)の姿勢が欠かせない、ってこれは科学技術開発全般に言えることなんだけどね。加えるなら、特に1)の部分をすくいあげるための体制作り、許容力も必要だってこと。


似たような例え話で油田採掘の話(油田を採掘しようとして結局あきらめたけど、そのもうちょっと先に油田があったんだよー、みたいな)を思い起こさせる。同時にそのような可能性をちらつかせる詐欺師、悪質な宗教団体もあるから困りものなんだけどね(失敗するのは分かっていて、「もう少しで成功するかも」とたきつけて小銭を永久的に巻き上げるような形)。

一方で今件青色LEDに関しては、こういう話も多数改めて持ち上がっている。


中村氏の成功が怒りをパワーにしていることに違いはないけれど、日本の世間一般に周知されているような「日本企業は悪、海外で活躍するしかない」ってイメージは、果たして正しいのか否かと、首を傾げざるを得ない話が色々と。中村氏が提訴した前後においてはこぞってマスコミ総出で中村氏援護的な話が出てきて、当方もいくつかその類の文章や漫画などを目にしたけど、今回のノーベル賞受賞で改めて調べ直すと「なんだかずいぶんと、これまで聞いてきたのとは内容が違うなあ」という感想を抱かざるを得なかった。

信頼されるべき筋が信頼できない状況にあるってのは、非常に面倒くさく、厄介な話。「目覚めた」なんていう意識高いような表現では無いけれど、なんだかねえという残念な想いを抱かざるを得ない。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月 9日 07:48に書いた記事です。

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