朝日新聞の問題を「誤報」と呼ぶのは間違っているとの考え方

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いわゆる「8.5.事件」で一部間違いを32年ぶりに認めた吉田証言問題、情報の取扱いとそれに対する反応に関して非常に興味深い実例を身を持って創り上げてくれた吉田調書問題、さらにはそれに連なる......と表現してもいいんだろうな、任天堂社長の「動画インタビュー」問題に就業者の特許問題など、まさにカーニバル的な状態で次から次へとこれまでの体質的な問題が表面化している朝日新聞。中でも二つの吉田問題に関して、誤報では無く捏造であるとし、それを誤報で片づけるのは振り込め詐欺を間違い電話と呼ぶのに等しいとする意見がある。

これ、気持ちは分かるけど、以前説明した通り、厳密には正しくない。

「誤報」はあくまでも間違っていた報道で、その意図に関して過失のあるなし、意図的(つまり確信犯的に)なものか否かは関係がない。一方で「捏造(記事、報道)」は「誤報」の中でも故意的・意図的に行ったもので、捏造(報道)もまた誤報でもある。要は窃盗と万引きのような関係で、万引きも窃盗には違いないというもの。

一方で「誤報」という言葉には多分に「意図せずにやってしまった、単なるミス」の雰囲気が強いのに対し、「捏造(報道)」はあくまでも意図的であり悪質度が高い。「誤報」と評することでそのあたりが有耶無耶になってしまうのは良くないとする考えは理解は出来る(これ、万引きと窃盗の関係では逆になるのね。万引きだと軽く見られてしまうのに対し、窃盗だと犯罪と確実に認識される)。

まぁいずれにせよ、吉田証言が「意図せずに」、悪意はなかった云々と説明するのはあまりにも無理がありすぎる。吉田調書も「意図せずに」と説明すると朝日新聞そのもののレベルの低さの点で問題が生じてしまうという点では、八方ふさがりになるのだけどね。

他方、この「誤報」について逆方向の意味で解釈を成し、「単に意図せず間違っただけなのだから糾弾に過ぎる」とする意見については、このような反論もある。【最近の朝日新聞バッシングの横行は異常】みたいな話もあるし。


多分に「故意的な意味での誤報」という前提での話。つまり都合の良い物差しの使い方をしてるだけだな、という指摘。もう忘れている人も多いと思うけど、公聴会で電力会社の社員がいたというだけで新聞各社が総叩きをしてそれに乗じる人も多く、いくら理路整然にその理不尽さを説明しても感情論やら社会正義やらを振りかざし、結局当局側や電力会社側も従わざるを得なくなった。

その旗振りをした張本人や一緒になって叩いた方々が、捏造を単なる誤報と差し換え、報道の自由云々と語るあたり、「結局、自分の思うとおりになるか否かで基準変えてるんじゃん」と指摘されるのは当然の話かなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2014年9月20日 06:18に書いた記事です。

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