ソーシャルゲームの課金に対する考え方になるほど感

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「リアルマネーを使うのはその大切なゲーム体験を飛ばしてしまう。まったくの努力なくお金で手に入れる快楽はドラッグなんだよ」


「売っていいものといけないものがある。ゲームというのはな、いかに楽しく努力をさせるかが重要なんだ」


原典を探してはいるけど、未だにちょいと見つからない、でもすっげークリティカルに響いた、ソーシャルゲームと課金に関するお話。タッチやコマ割りの構図、そしてセリフ周りから、恐らくは鈴木みそ先生のものだと思うし、だとしたら以前から随分と絵柄が変わってて、より読みやすくなったので、これは是非とも一冊購入したいなとは思うのだけど。

やはり思うところがある人はあちこちに居て、当方も含めて色々な意見が。


そもそもリアルマネー(現金)だって努力によって取得したものなのだから、その努力の置換行為と考えれば問題は無いのではないか、ああ、だとしたらその努力が極小になる未成年者はますますもって課金はダメだなあ、という色々と話がなるほど感でつながっていく。

手段として、一つの方法論として、そういう道筋を用意しておくことは悪くはないと思う。ゲームの設定次第だけどね。でもそれがメインになる、それを用いなければゲームの面白みが半減してしまう、それをゲームのビジネスモデルの根幹にしてしまうってのは、まさに本末転倒でしかない。この辺りの考えは、以前紹介した、任天堂が考えている課金周りの話や【商品としての展開と、DLC(ダウンロードコンテンツ)と】の話とつながってくる。

まぁ、ビジネスモデルとしちゃあ、DLCメインにしたり、課金周りでざくざくとシステム化した方が、短期的な儲けは出やすいし、収益的な成功率も上がるからねえ。でもそれって結局、ユーザーの市場などを考えると焼き畑農業と同じやん? という感じがする。言い方変えればイナゴ。

とはいえ、中長期的な戦略での分析はゲーム業界では(少なくとも日本では)ほとんど行われていないし、なされていたとしても鼻で笑われる、短期で大儲けすればそれでOK的な雰囲気があるからなあ。昨今のスマホ関連のヒット商品と、それを出した企業の動きを見る限りでは。

近視眼的な思考は、中長期においては奇跡でも起きない限り必ず身を滅ぼすんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2014年8月22日 07:28に書いた記事です。

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