雲仙普賢岳の大火砕流から23年

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【1991年6月3日の火砕流(Wikipedia)】





雲仙普賢岳における大火砕流での惨劇から23年。ここ数日この関連の話が色々と出てくる中で、報道関係者が「雲仙の教訓だから? ふざけんなゴルァ、自分らで勝手に決めるんだよョ」的な傍若無人ぶりの発言がなされているとの話があり、「まさかそんな暴言はしてまいて」と調べたところ、該当する記事はコピペのみ残っており原文はキャッシュ、魚拓共に喪失。で、ここぞとばかりにインターネットアーカイブを探したところ、該当文面が確認でき、事実であったことが分かったので、覚え書き。

まぁ、主旨は上に書き連ねた、というかツイートした通りだけど、特に「権力の制約に従うのは教訓ではない。自らの判断で報道するかどうか決めるのが本当だ。」の部分にはあきれ返らざるを得ない。何をもってして「本当だ」と定義できるのか、そもそも「本当」ってなあに? 何を指すの? とか、その場で発言を聞いていたら、高橋名人モードでツッコミを入れるんだろうなあ。

記録映像とか当時の資料を当たれば、雲仙の状況は大体把握できるし、リンクに貼ったWikipediaの記述からも有る通り、報道関係者自身だけでなく、それ以外の人たちも多分に報道関係者の独善的な「報道取材行為」で本来足を運ばなくても良い場所に赴かねばならず、結果として巻き込まれる形になっている。それを知っている上で「権力の制約に従うのは教訓ではない」うんぬんと語るのなら愚か者の烙印を押されても仕方がないし、知らないうえでの言及ならば、勉強不足でやはり愚か者と言わざるを得ない。

六万五千歩譲って「権力に従うのを良しとしない」のが必ずしも間違っていない場合があるにしても、それはもっと別の場面、状況での話。自然災害に関する安全確保のための規制について、過去に多大な犠牲を出すきっかけ、もとい原因となった報道関係者の暴走を抑えるための意味合いもあるルールについて「そんなの関係ねえ」とドヤ顔で主張するのなら、まさに「まるで成長していない......」と某先生に呆れ顔されても仕方がない気がする。

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このページは、不破雷蔵が2014年6月 5日 06:16に書いた記事です。

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