巡洋戦艦天城の一部が今なお健在という話

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【浮き桟橋(ポンツーン)となった巡洋戦艦天城】

浮き桟橋(ポンツーン)となった巡洋戦艦天城 - 蒸機の標 http://t.co/b3uKXuOMmV  え"!? 天城って浮き桟橋になってしかもまだ現役なの...これは保存して欲しいなぁ

— 林司 (HAYASHI,Tsukasa) (@Advanced_MH) 2014, 5月 5


「艦これ」が流行ったことによるメリットの一つとして、軍事関連、特に第二次大戦系の話が色々とサルベージされてネット上でチェックが可能となったり、新たな発見がぼつぼつと出てくること。今件もあるいは昔から周知の事実だったんだろうけど(何しろブログに掲載されているわけだし)、当方は初めて知った、なるほど感のあるお話。

元々「天城」ってのは第一次大戦後に建造された、八八艦隊計画の中の天城型巡洋戦艦の第一番艦(第二番艦は赤城)。ワシントン海軍軍縮条約によって航空母艦への改装がなされている最中に関東大震災の被害で大破してしまい、そのまま廃棄解体。......で、その時の一部が横須賀海軍工廠内の浮き桟橋の材料として使われ、戦後も米軍がそのまま使い、さらにその後IHIに払い下げられて、海自向けの浮桟橋として使われているという話ががが。

で、指摘されているGoogleMapを見てみたら、うん、ちゃんと今なお存在している。

↑ 巡洋戦艦「天城」の船体を使った浮き桟橋
↑ 巡洋戦艦「天城」の船体を使った浮き桟橋


......って拡大すると切り替わっちゃうけど、もしかして今現在最新データとして真上からの情景で映ってるのって、いずも型ヘリコプター護衛艦(DDH-183)? 巡洋戦艦として世に生まれるはずだったものが空母に改装させられることになって、その過程でぶち壊れて一部が浮き桟橋になって1世紀近くに渡って生き長らえ、今では(誤認でなければ)ヘリ護衛艦の建造に一役買ってるとはねえ。巡り会わせってのはまったくもって、興味深い物ですな。

天城(巡洋戦艦型の方)自身も、仮に関東大震災が起きなかったり、起きても被害を受けなかったり、受けても廃艦処分にならなければ、太平洋戦争における日本海軍の主力空母として活躍することになったはず。その時には加賀の代わりに天城が第一航空戦隊の主力空母として編入され、しかも赤城型航空母艦では無く天城型航空母艦の第一番艦。真珠湾攻撃の際には旗艦としての役割も果たすことになる(もちろんその場合、加賀は廃艦になるので空母加賀は存在しなくなる)。

話によれば天城が空母として改装された際には天城では無く「長鯨」の予定だったということなので、長鯨型航空母艦の長鯨と赤城がペアで戦隊を組んだことになるんだろうな(その時には赤城も別名になってたかもしれない)。

だからといって歴史がそう変わることはない。要は加賀が無くなって赤城がもう1隻増えただけだから。でも運不運もあるし、関東大震災を回避できた運が......と考えると、色んなIFも楽しめるかもしれないな。

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このページは、不破雷蔵が2014年5月 5日 16:38に書いた記事です。

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