ネタをネタとして楽しむためには相応の博学さが必要になる

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シンプルだけど意外に重要なお話。ネタはそれをネタとして理解できる人でないとネタの効力を発揮することは無い。何か元のテーマがあって、それをもじって作られたネタでも、そのテーマを知らない人には何の例えなのかはまったくわからないものとなる。例えば枕草子の一節を用いて皮肉を語っても、その原典が分からないと「何言ってんだこいつ?」という素朴なリアクション以上のものはできなくなる。

あまりにもマイナーな元ネタの場合、発した側が「分かっている通の人、同好の士の人だけニヤリとしてくれればいいや」という考えを持つ場合もあるけど、大抵の場合は「知っていて当然の元ネタを使った。分からないのならそれ自身がちょっとした恥かもね」という挑戦をしていることをも意味する。

トンデモツイートを真面目にやっているのならその人の頭の中身が心配になってくるけど、ネタとして取り扱っているのなら、それはもう知的バトルのスタートシグナルであり、連歌チャレンジのようなもの。そういうハイソな楽しみができる、参加資格が得られるというのも、知識や教養を身に着けるメリットなんだよね。......いや、それが必要不可欠なものかどうかというと、甚だ疑問ではあるのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2020年8月26日 07:58に書いた記事です。

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