「メディアにオピニオンは不要」

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メディアというのは基本的に情報を伝達するインフラであり、そこには何はともあれまずは運んでいく情報を正しく受け取り側に手渡す責務が生じている。水道管を通す水が水道局の善意で氷水になっていたりオレンジジュースに変わっていたら、それはもう悪意に等しい。

新聞記者や新聞に関連するジャーナリストでは特にその方向性が強いように思えるのだけど、自分達の思考・思惑を絶対正義として、その考え方を伝えることこそが、メディアに携わる自分達の責務であると考えている感が強い。つまり上記の例ならば、水道管には氷水なりオレンジジュースを流すのが真理であり正義であると考えている水道局員みたいな感じ。いや、引用で述べているように、キングボンビークラスの迷惑さ。

自分達の思いが云々ってのは二の次、三の次。まずは正確な情報を流してくれ。それでこそプロではないのか。自分達の「思い」を伝えたいから報道を云々ってのは、インフラを悪用した悪質な新興宗教とどれほどの違いがあるのか。「世の中をよりよくしたい」の「よりよく」は自身の価値観だけで判断をしているのではないか。


結局のところ正義漢とか使命感で動いているから、本来守るべき大原則「正確な報道」がないがしろにされてしまっているのだろうな、と。あるいは彼らにとっては、自分達の正義こそ正確なものであるとする認知のゆがみすら生じてしまっているのかもしれない。

それは単なるオピニオンであり、プレスとは別物。プレスにはオピニオンは不要に他ならないのだが。

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このページは、不破雷蔵が2020年8月 9日 08:04に書いた記事です。

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