改革や改善にはまずお金という名のリソースをつぎ込むこと

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これはホンマにそうやで、というリアクションしかない指摘で、ところが昨今では改革や改善というとまずは投入リソースの減少とか人員削減とかいう話をぶち込んでくる世相というか雰囲気が強くて、ちょっと頭を抱えている。それって改革とか改善を本当にしたいわけではなく、単に自分のお気持ちを晴らしたいだけじゃないの? いい思いをしたいだけ、そしてあわよくば奪い取ったリソースが自分のところに回ってくればいいなという考えぐらいでは、という気がする。

既存のシステムに手を加え、足し引きをするのなら、まず何よりもリソースの追加が必要になる。その仕組み自身を止めるつもりがないのなら、ね。人員や予算を減らして、しかも成果はそのまま維持しろというのは、単にブラック企業信奉と同義でしかない。


というよりはむしろ考え方が逆で、多様なリソースに容易に置換ができるような仕組みのツールとして存在するのがお金であり、一番柔軟性が高く何にでも使え得る万能アイテム、SF漫画ならナノマテリアル的なものがお金に他ならない。それをつぎ込むということは、手を尽くして直せ、改善しろということを意味するのだよね。

予算を減らすとかいうのは、相手の首を絞めて殴りつけながら「体調直せよ」と言っているようなものだ。その事実にどこまで気が付いているのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2020年6月18日 07:20に書いた記事です。

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