報道はプロパガンダでも反体制機関紙でもない

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報道とかジャーナリズムは体制や社会を監視して批判するのが存在意義だとする声もあるけれど、それはあくまでも体制や社会側が民衆にネガティブな影響を与え、その事実を意図的に隠ぺいし、影響を与え続けようとするからというのが大義名分というか前提にある。つまり報道やジャーナリズムの行為が正当化されるのは、事実を明らかにするのが民衆にプラスとなる行為だから。報道という仕事の存続のためにとか、ましてや報道内の思惑とは関係が無い。まずは何よりも、事実を明らかにするというのが何よりも大事。根本。

ところが今件では指摘されている通り、事実よりも自分達の立ち位置を大事だとしたり、思惑こそが存在意義で、それを主張するのが絶対正義だとしてしまっている。思いっきりぶっちゃけているけど、 「ファクトに基づいた報道よりプロパガンダ打ちます」 という表現はいい得て妙でしかない。それはすでに新聞ではなく報道でも無く、活動家の機関紙でしかない。


同じような流れがほぼ同時期に別の報道関係なところからも出てきたりする。報道に、ジャーナリズムに求められているのは「事実」。ただそれだけ。書き手、伝え手側のお気持ちなど不要なのだけどね。

この類の公言を、そういう意見を好む人たち向けの客寄せパンダとしているから、誰も止められないという意見もある。けれどそれを肯定してしまったら、報道組織そのものが同一意見を持っていると認識されても仕方が無い。そしてそれは報道そのものの存在意義の否定と同義となりかねないのだな。

ジャーナリズムが何でも許される免罪符と勘違いしている人達が報道界隈に多すぎて、しかも自浄作用が働いていないのが、報道の質の問題の大きな要因の一つではないかなと思うのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2020年2月10日 08:01に書いた記事です。

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