人間性にかかるコスト

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これは先日記事にもした、松屋のセルフレジ化でもぼんやりとイメージしていたお話。対人方式のレジって確かに機械との相対と比べると味気を覚えるっていうか自分の立ち位置を再確認できるというか。ただ、逆に思いっきり不快な気分を味わうこともあるんだけど。

で、人間が対応するとなるとそれだけ大きなコストが必要になる。対人取引の場において、それだけのコストをかける余裕がない、費用対効果の上でそろばん勘定が合わないってことになれば、平均的な対応をしてくれる機械に差し替えるってのは、ごく普通の考え方ではある。

でも人間の方が、というのなら、ならば人間と瓜二つで対応も人間そのもののロボットが登場したらどうなるのか。そのロボットの中に本当の人間が入っているだけだったら。画面上でのやり取りだけど画面の向こうにいるのは本当の人間だったら。その人間っぽく見える画面上の人が実はCGだったら。見た目は単なる機械だけど、操作系も合わせリアルタイムでコントロールしているのは人間だったら。ARで映し出される人間だったらいいのか、とか。

人間らしい、らしくない。ふれあいがある、無いの境い目って、どこらへんなんだろうね、ということになる。

機械任せという言葉があるけど、これは現在では多分に、人に任せるだなんて面倒だ、もったいない、機械に投げてしまえという意味合いが強い。人間味が無いとかふれあいが失われる云々っていう無人化への反対論は多分に、相対取引でないので自分は下手に見られてしまっているというやっかみがあるのではないかな、と思う。

一方でルンバとかアイボに愛着を覚えるのも事実。要は、自分にかまってほしいってことなんだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2019年8月27日 07:51に書いた記事です。

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