「分かりやすければ間違ってもOK」なはずも無く、けれどそれがまかり通っているのが報道

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「分かりやすいが正しいとは限らない」の言い換え的なお話。限られた分量の中で、あるいは受け取り側の受け取り時の時間を短時間であるとの想定の上で情報を絡める場合、どうしても端折ることが必要となる。1冊分の小説の内容をざっと解説する概要説明などがよい例。

けれどそのまとめを分かりやすくするのを一義的にしてしまい、本来の全体との比較で内容がまったく別物になってしまうとしたら、それはまとめでは無い。たまに有名な話を雑に、勘違いした形で単文にまとめるというお遊びが流行るけど、報道はお遊びじゃない。

さらに、情報発信側の思惑通りに受け取り手が認識するような誘導や、とにかく目に留まってもらうようにとインパクトのあるフレーズが乱舞したりなどという話になると、それはもういわゆるイエロージャーナリズム的なものとなる。

「分かりやすければ間違ってもOK」という報道界隈の話を頻繁に見聞きするにつけ、「分かりやすく、そして何より極力正しく物事をまとめる」という要約力(国語能力)の絶望的な不足感が、報道に蔓延しているのだなとの実感を覚えざるを得ない。分かりやすさありきで間違ったことを伝播するのは、ペテン師と同義なのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2019年7月19日 06:49に書いた記事です。

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