「デマでも注意喚起になるから」という詭弁

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意図的なデマが流される場合、その発信源を探るのは難しい...のだけど、SNS経由だと口頭経由よりは大元をたどれる可能性は高くなる。デマを流す目的の一つに、発信者の権威づけとか信奉やら教義の公知があるからだ。で、その発信者にたどりついてその発信者自身や、発信者から経由した二次的伝達者に対し、デマを流した、というか現在ではフェイクニュースと表現した方がいいのかな、行為を追及すると、指摘されているように「デマなのは分かっている。けど、注意喚起になるから問題はない」と開き直る筋がある。

報道関係者やジャーナリストと自称する方々の一部にも、この考え方は確実にある。間違っているかもしれないけどとにかく伝える。間違っていたらその後で訂正すればいいじゃないかな、とにかく騒いで伝える、注意喚起になるから責められる筋合いはない、むしろ褒められるべき行為だ、とかね。

だけどその考えは間違っている。デマを使わなくても注意喚起はできるし、デマで注意喚起が繰り返されると、注意喚起とデマが同一視されてしまい、注意喚起そのものが効力を失ってしまう。第一、大義とするもののためならうそや出まかせを使ってもいいという考え方は、非常に危険。してはいけないことの正当化でしかない。実名報道を強行する方々の主張「多くの人の心に刻むためには、例え当事者が迷惑をこうむっても、実名で伝えねばならないんだ」とする意見と何ら変わりは無い。


で、統計の取り様が無いのだけど、デマというのは得てして流す側は指摘を受けてもそれを正そうとはしない。デマを信じてしまった側に、訂正の内容が届くとは限らないし、届いてもその訂正された内容を信じるとも限らないので、少なからずはだまされたままとなる。

この類の話は往々にして同一人物が繰り返す傾向があるので、ラベリングする形で特定発言者の語りはどのようなものでもアンタッチャブルにするというのが最善の方策なのだろうか。あとはこまめな通報による情報の遮断や、間違いの指摘の拡散。ただ、そのようなリソース投入をしても、メリットが無いのが困りものではある。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月18日 07:17に書いた記事です。

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