感情と実態は比例するとは限らない

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当方が感情論のみで押し立てる議論を忌み嫌う理由もこれだったりする。人の感情ってのは多様な要素で膨らんだり縮んだりするので、単純に原因となる実態や引き金となった事案とは必ずしも一致しない。チョコボールの1つをつまみ食いしただけでも烈火のごとく怒って三日三晩キレたままになるってこともあれば、ゴディバのチョコレートをひと箱食べてしまっても「めっ」と言われて小突かれるだけで済むこともある。

感情の発露の背景は他人から分かるはずもなく、本人にも変わらないこともあるぐらい。それしてそれらは多分に理知的では無く、文化的では無く、大人としての振る舞いって観点でも筋を違えている。

感情そのものは否定しないし、ある程度のぶれの要因となることも仕方が無いものではあるけど。それをやりたい放題にして放置しておくと、個人の好き勝手な、感情的な判断がすべて容認されてしまうことになる。「お前は気に食わないから死刑」ってのが正当化されるようなもの。

感情をいだくことと、それを実反応に反映されることとは別であることを理解し、実体化できるってのが、大人としてのあるべき姿ではないかな、と。無論指摘の通り、感情をまったく押しとどめてしまうとストレスが蓄積されて危険な状態になってしまうので注意が必要だけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年3月27日 07:11に書いた記事です。

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