電卓による日常生活の数量化

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数字の概念的なものは元々人間の存在以前からあったもので、それを人の知恵によって定量的なものとして明確に概念化し、取り扱いができるようにしたことによって、人は格段に利便性を得ることが出来るようになり、進化が可能となった。数というものの考え方の認識とか、その取扱いとかは、知的な考えをする上では必要不可欠なものとなる。

で、それほど大げさなことを考える必要は無いのだけど、電卓があると色々と数量化できて気付きを得られるよ、という話。関数電卓にぶち込んでおいて答え一発でもいいけど、それはそれで面倒だから単なる電卓でいいかなという豆知識。

割ったり掛けたりしてるだけじゃん、と言われればそれまでなんだけど、それだけのことで普段の数字が別の意味を持ってくる。自分により身近な存在となる。何となく、もやっとした数字が、リアルなものとして自分に降りて来る。


似たような話として。今度は逆に切り刻んでいくのではなく、積み増していくという逆の方向性を電卓で考えてみる。今件の場合は得られるメリットとの兼ね合わせってのもあるけど、意図的になのかな、複利計算の話が除外されている。貯金のように利益が利益を生んでいくってこともあるので、価値の積み増しってのは重要なのだな。

ただ問題はこの辺りの数量化による概念の具体化ってのは、大元の考え方を認識していないと把握は難しいし、説明しても理解が困難だったりする。数時間並んで牛丼一杯の無料の権利を行使するのが得か損かってのを考えられるかどうかってところ(無論イベント的に考えて「並ぶこと自体が自分にとっては利益となる」との認識までしているのなら話は別だけど)。フロチャート的な物事の流れをできない人はプログラムそのものが難しいってのも似た事例かな。

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このページは、不破雷蔵が2019年2月16日 07:50に書いた記事です。

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