「ほしい」から「払いたい」、対価の意味は

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技術の進歩、特に生産とマーケティングと流通が改善され、人々の生活における需要が少しずつ改善されていくと、サービスや物品への需要が変化を示すことになる。ある意味、モノ余り的な状態になると、どのようなものが好きかについて多様性が生じるわけだ。ご飯を食べられるようになったら、もっと美味しいご飯をとか、おかずを、おやつを、的な。

もちろん生活し続けるのに必要なあれこれは引き続き需要が生じる。だからその方面の需要が無くなることは無い。ただし、その方面でも選択肢が増えるから、昔の選択肢への需要は漸減していくだろう(紙媒体としての新聞や本は良い例だな)。同時に、コップを満たした水がどこに注がれるかに関しては、これまでとは異なる意図が働くことになる。余裕が出てくるってことだな。

自分のほしいものを得るために、そしてその欲しいものが存続し続けるためにお布施をする。購買文化から御布施文化という表現は面白い。

けれどよく考えてみると、御布施という言い回しが昔からあったように、御布施文化ってのも昔から多分にあったと考えた方がいいような気もする。宗教への寄進とか、娯楽への投資(パトロンの仕組みとかね)、芸能人の追っかけとか。

となると昨今の御布施文化ってのは、そのハードルが低くなった、可視化されやすくなった、双方向性的な意味合いが強くなったと見た方がいいのだろうな。「ふるさと納税」も同じような考え方だし、ね。

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このページは、不破雷蔵が2018年12月27日 07:57に書いた記事です。

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