新聞記者は市民の代表ではない

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タイトルで終わってしまう案件だな、という気はするのだけど。元々報道界隈にはそのような意味合いを持つ、というかその前提で立ち上げられ運用されてきた面があるのは事実だけど、それはあくまでも自称以上のものでは無く、第三者の認証や裏付けのある数量的なもの、公的機関の保証の類はどこにもない。

正義の味方を自称して、勝手に真夜中に大声を挙げながら防犯の見回りをするような人、といった感じ。そしてその人が不法にゴミ回収所を漁っていたり、のぞきをしたり、さらには気に食わない人の家の周辺で騒ぎ続けたりゴミを投げ入れていたり、という状況なのが現状。

自分の立ち位置、存在意義を勝手に宣言し、それを体現化するために努力するのはかまわない。むしろそれは称賛されるべきお話。だけど、それが最初から既定事項であるかのような前提で、その権限を当たり前であると他人に向けて強要するのは筋違い。自動車を運転したい人が、自分は運転したいからと免許も取らずに乗り回していたら、お縄になるってまでの話。


大体語りたいことは語られてしまっているので、ざっくりとまとめてみる。あんたらの代表だと勝手宣言して、好き勝手なことをされたら困るし、その権限の裏付けはどこにも無く自称なだけなんだよね。元々そういう危うい立場にあるのだけど、それでもその宣言に沿うべく、認めてもらうべく、誠意をもって行動すべきはずなのに、多分にその宣言の履行で得られる権利ばかりを声高に叫び、濫用するから、「何言ってんの?」というツッコミをされることになる。どこぞの近所の変な人が、自分は警官だと自称して気に食わない人を好き勝手に拘束するのと何ら変わりは無い。

ああ、オピニオンリーダーが「市民の代弁者」なる自称権限を濫用しているってのは、言い得て妙だな。

それと瓦版云々とあるけど、瓦版売りは商売のため、せいぜい売上を伸ばすための大げさ表現に留まるけど、今の記者の少なからずは世間を扇動したり誤誘導したり自分の思惑に勧誘することまで画策している、宗教や反社集団の機関紙的思惑もあるので、瓦版未満だと表現できてしまうのが、悲しい現実だったりする。

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このページは、不破雷蔵が2018年10月21日 07:33に書いた記事です。

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