試行錯誤は経験として役立つ

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今件の話がどこまで事実かを裏付けるものは無いので、あるいは作り話的なものが混じっているかもしれないけど、色々と納得できる部分も多いので覚え書きとして。

自分の過ちのプロセスを記録しておくのは結構辛いし、作業的にも色々と面倒なところが多いのだけど、後々になってそのあれこれが役立つことは多い。スタートとゴールしか記録に残っていないと、どうしてこの結果に至ったのか分からず、そこから先への発展やら改善の時に、いわゆる車輪の再発明的なことをしなきゃならないこともある。本人は必要ないかもしれないけど、組織などでの作業の場合には、他人がそれを把握しておく必要があるかもしれない。ソースコードでの注釈とかが良い例かも。

ラノベというか異世界物でも多いのだけど、技術のショートカット的な手法でレベルをインチキ技的に引き上げてしまうと、過程が省略されてしまうので、周辺の環境がおざなりになったり、使う側の倫理観が付いていけなくなったり、さらなる技術の発展が出来ずに突然止まってしまうことになりかねない。「パンプキンシザーズ」でも問題視されていた、あの話。それが個人レベルで起きてしまう。個人の集約で社会は構成されているので、社会全体がそうなる可能性も否定できない。


無尽蔵に覚書とか失敗を残しておいてもきりが無いし、その類の資料やら情報が軽視されがちな世の中である事は否定しない。けど、すっぱりと全部捨ててしまったのでは、一つ一つのつながり、ラインにおいて、少しずつ足止めを食らってしまう、先に進めず後ろを振り返ることもできなくなる、そういう事態が生じる危険性があるのだよね。

デジタル上の作業、特にパソコン、さらにはスマホ上では、その類の削除が容易に行われてしまうので、情報の継続やらプロセスの断絶が、かなり大規模に生じるかもしれないなあ、という危惧もあったりする。気軽に扱うことができ保存できるだけに、油断してしまい、逆に気軽に捨ててしまって取り戻せなくなるとか、ね。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月 4日 06:34に書いた記事です。

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