「多様性のある社会」って結局異なることに不干渉って意味なのだろうな

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無論賛否両論はあるだろうし、すべての事柄にこれが当てはまる万能の法則ってわけでもないけれど、大まかな概念としてはこの考え方は間違っていないだろうなあ、ということで覚え書き。

コンクリートジャングル(古い)とか近所付き合いが薄いと揶揄されることが多い都会での生活だけど、それは見方を変えれば他人のあれこれに不要な干渉をしないということでもある。他人に迷惑をかけない、社会倫理や法に抵触するものでなければ、他人が何をしていようが何の問題も無い。お隣さんが巨人ファンで自分が阪神ファンでも、巨人グッズを押し付けてくるとか大音量で昼夜を問わずに応援歌を流してこちらまで丸聞こえって状況で無ければ、何の問題も無い。あちらはあちら、こちらはこちら。

だから、他人に冷たいとか無関心とされるような状況の方が、むしろ多様性は生じ得る。ムラ社会は一つの理想的な社会集合体だけど、それ故に同じような意識を強要されて多様性は生じなくなってしまうのだよな。


無論共有できる場合もあるけど、得てしてこの類のは相反する存在となる。集団で同じような認識をする状況は、多様性は生み出されにくい。何しろ多様性は敵扱いされるからね。

            

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このページは、不破雷蔵が2018年3月20日 07:22に書いた記事です。

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