ある場所の方法論がすべての場面で通用するとは限らない

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書店にずらりと並ぶ書籍やその類で、指摘のような形状変化をして滅んでいった雑誌って、確かにあったよなあ、ということを思い返しながら。

インターネットの普及浸透で文章を読ませてお代を頂戴するビジネスの競争が激化し、いかに手に取ってもらうかが重要度を増している昨今。指摘の通り「易しく分かりやすく」するのが最強の方法論だとする考え方がある。ジャンルや切り口ではそれが正解だろうし、かつての、そして今でも一部方面で展開されている、コミック化もその一つ。上手くいけば新たなジャンルも開拓できよう。

ただ、その方法論がすべての場で通用するかというとそうではない。指摘されている通り、「易しく分かりやすく」したために、本来有していた魅力が損なわれてしまうっていう例も多々ある。その方法論を成してよいのか否か、十分に市場調査と自商品の特性の再確認をした上で判断しなきゃならないのに、「あれで上手くいったからこれもそうに違いない」と安易に判断すると、えらい目にあうし、大抵は取り返しがつかなくなる。


指摘されている通り新聞は文字の拡大化と内容の希薄化が進んでいる。一応大義名分は読みやすくするためとあるけど、脳の活性化云々ってのは初めて聞いた。脳の刺激をもたらすか否かは別として、文字が大きくなっているのは、購読者層が高齢化して、小さな文字だと読みにくいって指摘が多分に及んだのか、逆に「文字が大きいから読みやすいですよ」とアピールするためのものなのか。いずれにせよ、掲載可能な文章量は減るので内容は軽くなる。写真をたくさん、大きく取り入れるようになりましたとかアピールしている新聞も無かったっけか? それも発想としては似たようなものだし、行き着くところも変わらない。

新聞の発行部数が減退し続けているのも、あるいはこういう話も要因としてあるのかもね。少なくとも、文字を大きくして内容が希薄化し、結果として人気が高まったとか部数がアップしたという話は聞かない。具体的な成果が出ているのなら、継続すべき手法ではあるのだろうけど。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年7月28日 07:38に書いた記事です。

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