「納得できない」のは語り手の話なのか、それともそれを「分かりやすく正しく」解説する責務を負うメディアなのか

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人は日々創生される情報のすべてを取得して分析判断することはできないので、その中から公平な視点で取捨選択肢をし、さらに分かりやすく正しく吟味した上で、適切な量の提供を行うのがメディアの社会的責務。その責務はとてもとても大切なことで、社会を安定維持し、正しい判断を多くの人が成すのには欠かせないから、さまざまな特権を与えられ、しっかりと仕事ができるように優遇されている。

にもかかわらず。今件は単なる一例でしかないのだけど指摘の通り、記事そのものは「説明をしていない政権側が悪い」との主張なのだけど、よく考えて見ると、それをまとめて公知する責を負っているメディアがその役割を果たしていないことの裏付けでしかない気がする。つまりメディア自身が「自分達は仕事をやってません」という暴露でしかない。


例えるなら、CDの音楽に納得がいかない、ではなく、CDプレイヤーとスピーカーの性能が悪くて納得がいかない、ということ。それをCDプレイヤー側が「CDの音楽そのものが悪い」と喧伝している、と。

要は、今の報道界隈の少なからず、そば事案(森友、加計)で多分に虚言側に忖度を成したサイドは、報道としての意義を有していない、その技能が無いと判断してもよいのだろう。「なんだ、このスピーカー壊れてるじゃん」ということ。

もっとも、該当媒体を構成する、しかも多分にそれなりの肩書と経歴を持つ人たちの実用がSNSを通じて認識される現状では、「まともな音が出せないのも当然かな」と判断しても不思議ではない気もするのだが、どうだろう。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月18日 07:22に書いた記事です。

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