同一人物の炎上事案が繰り返されるのは、子供や動物への叱責の反応に似ている

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具体例は避けるけれど、いわゆる自称文化人や知識人、芸能人やジャーナリスト的な人たちによる炎上事案。世間一般的には非常識と受け止められても仕方が無いようなこと、実際に多分に非難を受けていることでも、その非難を正しく受け止めないどころか開き直ったり、謝罪をしたように見えても形だけで、すぐに同じような行動を繰り返す。場合によってはより状況が悪化してしまう。

当人には指摘や非難が耳に入っていない、自分は正しいことをしているのだからあの非難の声は大根が発しているようなものだ......と考えている、新興宗教の信者的な状態にあるのかなというのが、これまでの当方の見方だった。

今でもその考えは有しているのだけど、最近それに加えてもう一つ、要素としてありうるのかなと思い至ったのが、この子供や動物に叱責を行った時の反応事例。

子供にしても動物にしても、対象にかまってほしい、自分を見てほしい、認証欲求的な欲望がある時には、手っ取り早い手法としてヤンチャなことをする。叱られた時の心の痛み、さらには物理的ダメージよりも、「かまってくれた」「自分の存在を認識してくれた」との効用の方が大きければ、同じことを繰り返す。その方が自分にとっては益になるから。当然「してはいけない」と叱責している人の願いなど届くはずもない。

これが大人の場合、昨今頻発している炎上事案になると、実益も伴うので、天秤のバランスはさらに極端なものになる。その行為に非難を向けられても、多少評判は悪くなっても、社会から取り残されているのではと思っている自分に注目を向けられることで、大いに認証欲求は充足される。多分に特定の対象への誹謗中傷がネタとなるので、同じ思いをしている人からは賛美すら受ける。結果として、社会の一般常識、世間の大勢からは外れるようなことでも、自分にとっては益の方が大きいので、ますますエスカレートしてしまう。

この図式はまさに悪質な新興宗教の信者のそれと同じ。この悪循環を断ち切るのには、本人にとって益以上のマイナス要因が生じ、「この行為は自分にとっては益にならない、損の方が大きい」との判断を下させるのが一番楽ではある。

ただしその判断すらまともにできないと、「自分が損をしたのは損をさせた奴が悪い。自分は悪くない」として、別の方面でまた同じようなことを繰り返すのだけどね。そういう類の、根本的にどうしようもない考えを持つ人も、残念ながら世の中には少なからず居るのが現実ではあったりする。

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このページは、不破雷蔵が2017年2月16日 07:05に書いた記事です。

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