基礎研究の大切さをどのように説明すればよいのか

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趣味の世界でも基本となる部分は実のところ軽んじられることが多く、それ故に初心者がはじめの一歩を踏み出しにくかったり、未知の人が理解をしがたいなんてことはよくある。ガイドブックでもその部分を懇切ていねいに説明しているのは、実は多くない。書き手側が「これは知っていて当然だろう」という部分、暗黙の了解の領域に関して、説明を省いてしまうからだ。

でも、だからこそ、その基礎部分は大切。科学技術の点でもまったくその原則は変わらない。先日の豊洲事案の某調査隊の行動にしても、「安全が危険かが分からない場所に軽装で足を運ぶのは言語道断」「採取したサンプルをジャムのビンに居れるとは」「サンプルを鼻を直接近づけてにおいをかぐなんて」などとのツッコミがあったけど、まさなそんな感じ。

そう考えると、基礎研究部分など、土台となる部分、基本の部分をしっかりやらねばならないってのは、畑仕事ならよさそうな場所を選んで畑を耕し整備することに他ならない。それをやらずしていきなり地面に種を蒔いて、どれだけの作物が取れるかな、と(自然任せという農法ならそれでもいいんだけど)。

同時に指摘している通り、基礎にはしっかりとサポートを的な話をすると、必ず山師やら詐欺師的なものがぞろぞろやってくるので、それを逐次叩く必要もある。整備した畑に虫がやってきたり、ソバが生えてきたりするようなものだな。

そして科学そのものも、結局農作業と同じで、必ず上手くいくとは限らない。それでもたくさん整備すれば、全滅することは無く、相応の収穫を得ることがかなう。蒔かぬ種は生えぬ、というやつだ。


初めからちゃんと芽が出て育ち実がなる種を植えればよい。それができればよいのだけど、農業ですら確率論的に高いものを用意するのが精いっぱいなのに、科学方面ではそれは難しい。中世の冒険旅行のようなもので、必ず成功する新世界の発見、お宝の確保などありはしない。

指摘の通り、計画経済的なものは、特に新規開発の観点では通用しない。ありえるとすれば、リソースを大量投入すれば成功する可能性が高くなること。さいころをたくさん振ればぞろ目が出やすくなるという理屈と同じ。社会主義では「3回振れば必ずぞろ目が出る」的な計画を立案したから、上手くいかなかった。

そして民間と国家の立ち位置の違いを明確化、再認識しておく必要もある。成功する、新発見を見出せる可能性が高い、儲けが出るのが確実ならば、民間に任せればよい。儲けが出るかいなか分からない、とにかく種を蒔く必要がある。そして儲けは出ないかもしれないけど(金銭的な対価は期待できないけれど)、社会の安寧と発展に貢献し、他の技術や社会構造に大きな恩恵をもたらすものは、国が成すべき。「儲けは出ないけどプラスになるものを国にやってもらう」ためにこそ、税金は存在している。警察機構とか防衛関連が好例だね。


あとはこの辺りかな。役に立つ、具体的には社会的貢献を果たし、国に利益をもたらし、経済的にプラスと成すか否かってのは、研究当時には判断ができないケースも多い。また、研究当時には役立たずでも、のちの世になって環境が変わり、その時に大いに役立つってことも多々ある。

上で言及しているけど、必ず芽が出てたくさんの実がなる種だと分からない以上、より多くの種を蒔いて育てるしかないんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月 7日 07:24に書いた記事です。

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