試験による点数至極主義と、「人物総合評価」の良し悪し

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受験における点数の良し悪しだけで合否を決めると、その時にたまたま調子が悪かったり苦手な部分が対象だったりした時に、実力に見合った点数を得られなくなるとか、一発勝負で人生が決まるのは良くないとか、点数さえ稼げれば良いとする主義主張が蔓延するという話は、定期的に沸き上がってくる。そのたびに総合評価のために、例えば内申書を重視すべきだとか一発芸的なものを採用すべきとか、面接に重きを置くべきだとかという話が出てくる。最近話題のAO入試なんてのもその一つ。

それも一つの考えとしてはありなのだろうけど、今件引用の指摘もまた、十分に説得力のある話に違いなく。そりゃ確かに学力そのものも資材や周辺環境で影響を受けることはあるけれど、「育ち」「人物重視」と比べればどれだけその要素は大きいだろうか。また「試験は付け焼刃で云々」ってのもあるけど、それは「人物重視」に影響を与えるからとボランティアに足を運ぶ行為とどれほどの違いがあるのかな、と。受験による点数はしっかりと基準が存在するけれど、「人物重視」ってのはそれよりもあやふや。評価チャートにおけるチェックにしても、面接官の好き嫌いがどこまで影響するか。内申書にしても、それをつけた教師の正当性がどこまで担保されているのか。


本来ならば「本人の個性」が精査されるべきなのだけど、人間は神様ではないから、どうしても指摘されている通り、本人を形成した環境が、リソースが評価されてしまう。そして指摘がかなり鋭くてぞくっとしたのだけど、「人物で評価しろと主張する勢派がどのような人達か」というのは、雰囲気的に「脱成長を語る富裕高齢層」と近しいベクトルを有している感は否めない。現状の固定化による自己の足場固め。

そこまで思いが巡ると、ああなるほどなというところもあったりする次第ではある。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年5月31日 07:55に書いた記事です。

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