ウェブ広告の乱暴さとその理由と

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まとめられたツイート群を見るとむしろスマートフォンにおけるウザい広告に関する言及の方が多い感はあるのだけど、パソコン向けのウェブ広告にせよ、スマホ向けの広告にせよ、このような意見が少なからずあるのは事実。

ウェブなどの情報提供サービスにおけるビジネスモデルの一つとして、広告を利用した三角関係の収益構造があるのだから、広告の存在そのものは否定するわけにはいかないけれど、今件のような話があると必ず「タダで見せてもらっているのだから広告のことでブーブーいうな、この物乞いが」的なウワメセ姿勢を示す筋が出てくる。今件はそのような話では無く、一定の許容水準を超えた不快感を覚えさせる広告に対するものであり、そのウワメセ姿勢は的外れでしかない。

一方で「日本の」とはあるけれど、ウェブ広告の雑さは日本だけのものじゃない。ただし海外の場合は業界団体や公的機関の突っ込みも大きく、お痛的なものはすぐに四方八方からツッコミが入り、撤収させられてしまう。日本のウェブ広告が云々ってのは、結局その自主規制なり反発が生じることを見越した上での対応が海外と比べて少なく、広告を作る・出す側の暴走ぶりが目立つのではないかな、と。

商品なりサービスの購入・利用は、まず何より相手に知ってもらわねば判断もできない。「こんな良いもの、今まで知らなかったよ」的な言葉がそれを如実に表している。どのような良いものでも、存在を知らなければ購入されることは無いからね。そこで「どのように思われてでも相手に知ってもらえれば、購入の是非を判断してもらえる」との発想につながりそれが招いた結果として、問題視されているレベルのお邪魔広告が出てくるのかな、と。

例えるなら卵を買ってもらうために、道端の人に向けて卵を投げてぶつけるようなもの。「大勢の人に反感もたれてもいい。対象者のうち0.01%でも興味を抱いてもらい、判断を下して、購入者になってもらえばしめたもの。対象者の50%が敵対心を持ったとしても」的な感じ。これって炎上商法や信者商法と方向性は同じ。多数の人に嫌われてでも、ビジネスとして成功するだけの数の顧客を確保できればそれで良し、と。単価が高そうな商品に、その類のが多いのは、結局「それで良し」とする対象人数が少なくて済むから。

もっとも昨今では、広告展開のハードルは下がったけれど、同時に広告を受けた側、消費者の意思疎通のハードルも下がっている。悪癖が強すぎると、その噂が四方八方に広がり、本来「買おうかな」としていた(上の例なら0.01%)人達も、引いてしまう可能性が出てくる。

個人的には一番良い広告とは、広告なのを認識できた上でコンテンツと一体化し、コンテンツ同様に役立つ内容のものであるようなもの。その観点ではコンテンツマッチ型の広告はベストであると考えている。読者の行動性向に基づいた広告(ウェブ通販の履歴に基づいて商品をお薦めしてくるとか)は、短期的には成果率は高まるかもしれないけれど、記事そのものとはまったく関係が無い。歴史の背景を探るためにその時代のようすが説明されている記事で、広告としてアニメフィギュアの一覧が出るケースと、該当する歴史の書籍や定期発行雑誌が出る場合、どちらが読み手にとって良い広告か、良いコンテンツとなるのか、そして記事そのものに付加価値を与えてくれるのか。

色々と考えることは多いけれど、即効性があるような、表現を変えればドーピングのような、「とにかく何でもいいから見ろ、クリックしろ」ってのは、短期決戦としか思えない。まぁ、代理店側からすれば、「短期決戦で効果が出れば広告主に胸を張れる」「当然すぐに効果はドカ落ちするけれど、そしたらまた新しい、目立つ手法を提供すれば良い」的な発想が多分にあるのだろうけどね。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月26日 07:41に書いた記事です。

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