出版不況と読む事の多様化と

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先日話題に登った出版不況と、それに係わる書籍・コミックなどのコンテンツを提供するためのメディア・媒体の問題。元はといえば先日某中堅取次が破たんして、それをきっかけに地方の結構有名な書店が連鎖的に閉店する動きを見せたため、現状があらためて認識されたようなところからのもの。

世の中の断りがすべてAll or Nothingというわけではないけれど、つまり「完全に奪われた」ってのは語弊があるのだろうけど、領域をかなりかっさらわれた......という表現が正しいか否かはともかく、食われているのは事実。

ただ、その一方で。


という指摘もある。むしろ当方の考えはこちらに近い。前世紀末辺りから紙媒体としての出版業界の斜陽化の傾向は見えていて、インターネットやらアマゾンやらの登場で加速化され、明確な「敵」「ライバル」が登場したので、それに責が負わされた感じがする。それらも要因には違いないけれど、それがすべてでは無い。そしてこれは紙媒体の本だけに限らず、新聞も含めた紙媒体全体、さらにはCD等の物理音源媒体も同様。要は技術進歩と普及浸透による選択肢の多様化で、各既存選択肢の選択率が減退した次第。


他方、コンテンツとしての文字や文章が廃れているわけではない。米国ではすでに電子書籍を紙媒体書籍と同類のものとして扱い各種統計もなされている。日本でもデジタル上のコンテンツも合わせればむしろ文字は読まれている。それが売り上げにつながるか否かは別として。


ではデジタルメディア万歳、紙よさらばかというとそうでもない。紙には紙の、デジタルにはデジタルの良さがある。ビジネス面ではまだまだ収益モデルが不安定だということの他に、物理メディアでは無いがための長所がそのまま短所にもなりうる。先日触れた「めくってあとどれぐらいが残っているのかが感覚的に分かりにくいため、終わりに向けてのスピード感がなく常に一定のペースで読むことになってしまう」のも良い例。バッテリーの持ちなどは、まぁ、今後技術の進歩でどうにかなるのだろうけど。

クレジットカードの件もプリペイドカードの普及である程度パスができるようになった。しかし老眼周り......というか視力の件はどうしようもない。

最後の部分は半ばおちゃらけたオチになったけど、ある意味方法論としては間違ってはいない。または物理的な大きさを気にしなくても済む、空中投影映像の手法が実現すれば、この辺りもある程度はクリアできる。


最後に。少々脇道にそれるけれど、参加ハードルが下がったことでコンテンツの絶対量......というか第三者が触れることができる量が増えたので、暇つぶし手段が桁違いに増えた。結果として市場、というか供給は目いっぱい増えたけど、ビジネスのスタイルはこれまでとは異なる方式を考えねばならなくなった。紙媒体が頭を抱えているのは、ある意味この「世の中の変わりよう」に目をつぶっているか、気が付いていないか、知らないふりをしているか、あえて昔の状況のままで突っ走ろうと思っているからなのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月17日 07:49に書いた記事です。

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