「お金目当てで」というけれど、それが一番信用できるという話

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どうも一次ネタの場所がなんちゃら小町同様ネタの宝物庫的な場所で、どこまでマジなのかネタなのか分からない、そして現在はネタ的な現実が跳梁跋扈としているので、判断がしにくいところではあるのだけど。この傾向って結構見受けられるので、覚え書きも兼ねて。

主旨としては「お金は汚いもの、即物的なもの。それを目的として何か気品ある対象行為をされては汚れてしまう。もっと気高き意思、目的の下にそれらの行為はなされるべきである」とするもの。直接的な表現は「お金目当てで●×になられると困るので、●×の給料は安くて良い」とする、そのような考え方。

何度か言及しているけれど、そもそも論としての「お金って何よ?」的な部分の理解がまず必要となるし、そして世の中オール・オア・ナッシングでは解決するものはほとんどないってことも知る必要がある。該当するような職種、まぁ多かれ少なかれ公共性のあるものは、その職に就くことの誇りや社会的価値観を認識してのものもある。これは間違いない。

そして同時に、人は霞を食べては生きていけない。さらに相応な労働には相応の報酬ってのは、必要最低限のお話。その作業において社会的満足度が得られるだろうから、対価は少なくても良い、いやむしろ無くてもよく、さらにむしろ払うべきだってのは、某飲食チェーン店のトップの語りのようですらあり、上で語られた清貧云々ってよりは、ブラック企業のトップ側の考えと同じ。ああ、先日の「オリンピックに向けてセキュリティ関係のボランティアを数万人」と同じ発想だよ。


これはすべての事例に当てはまるとは言い切れないけれど、往々にして正しい場合が多い。何しろ社会的満足度、自己意識の充足ってのは心境的なもので第三者からは確認ができないし、容易に増減しうる。社会に貢献しているから低賃金で構わないと意気込んでいても、それを数日、数か月、数年継続できる人がどれだけいるか。自身の生活が困窮してしまえば、周囲への気配りの余裕もなくなってくる。

上でも触れているけど、お金か・社会的貢献による充足感か、そのどちらか一つのみってのは滅多になく、その双方で行動は決定される。お金の条件を釣り上げることで、その方面の要素で条件にマッチする人はたくさん手を上げるけれど、その人すべてがお金のみを求めているわけでは無い。雇う側はその中から、より他の条件に合致した人材を選択できる。「給料を多く出せば応募者が増え、より多彩な条件に合致する人を選べるようになる」次第。

繰り返しになるけれど、お金だけですべてが解決するわけでは無い。でもそれは同時に、お金で多くの事柄は解決しうることをも意味する。加えてお金ってのは、明確に数量化された物差しにもなるので、評価を具体的に認識できるものとものなる。

「お金目当てで●×になられると困る」ってのは結局のところ、支出を抑えたいがための詭弁であるか、お金の意味を分かっていない事を暴露しているようなものなんだろうな、と。

本当に「お金目当てで●×になられると困る」のなら、無料奉仕で人材募集をしてみたらどうだろう。そしてどれほど人が集まるか、試してみるといいんじゃないかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年11月17日 06:49に書いた記事です。

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