大学の教授職って原則的に永久維持されるものなのかな、維持・更新試験的なものはないのかしら

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......とタイトルを書いた時点で、そういや少し前に、教員免許を一度取得したら半永久に効力のあるものでなく、運転免許証のように定期更新・資格精査で基準に達しなかったら免許はく奪的な仕組み(教員免許更新制)が導入された際にも、色々と議論を呼んだことを思い出した。結局現状ではチェック機構程度の役割しか果たしていないみたいだけど。

で、大学の教授職の場合はかなりラフで、准教授などもあわせ、社会的認知度・肩書としては大いなる権威としての役割を果たすのだけど、その中身は多種多様で、有象無象。かなり著名な大学の教授職の肩書を持ちながら、居酒屋のヨッパライの戯言のような語りを繰り返す様相を多々見受けるに、このままでいいのかなあというパターンをよく見受けるようになった。

まぁ、個人の発想の自由、表現の自由はもちろん保証されているのだけど。その肩書を前面に押し出した上で、教授職を冠する方面分野に少なからず関係のある内容で、とてもではないけど、正気ではないような、あるいは以前も語った話、「専門家が思想を持つのは自由。でも、その思想に影響されて自分の専門分野で嘘をついたり誤魔化しをしたり、意思決定をするようになったら、もう専門家としてはおしまいです。それは専門家の肩書を悪用した、ただの害悪でしかないのです」をそのまま体現化したようなものが相次ぎ行われると、この「教授」たる存在は、その肩書を悪用しているだけではないかな、という。特に相応の歳を経て、年齢的にも本来ならば尊敬されるべき存在である人に、そのパターンが少なからずあったりする。

話の方向性、内容が、「今は必要ではないけれど、将来必要になるかもしれない学問」の類ならばまだ価値はある。でも「単なるでたらめなお話」ならば話は別。

「お年寄りは尊敬すべき存在だ」とはよく言われるけど、本当は「尊敬すべきお年寄りでなければならない」なのではないかな、と。本来尊敬すべき対象ならば歳など関係なく。お年寄りは経験を蓄積しているから、尊敬すべき状態となっている可能性が高いわけで。


これも良い典型事例の一つ。大学教授という肩書を悪用している次第で。地方自治体の長などと異なりリコールも無いし、やもすれば教育部門への圧政だなどと言われかねない。それこそ普段から言われている、悪しき意味での利権でしかないのだけどね。

教育周りの改革云々というのなら、まずは構成要素となる教員・教授周りのお掃除も欠かせないんじゃないかなあ、と思ったりする。まぁ実のところその類の要素、素材は以前から一定率存在しており、ソーシャルメディアのような自己発信のツールの普及・浸透で露呈されやすくなっただけなのだろうけど。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月27日 07:38に書いた記事です。

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