「事故は起こすな」ではなく「事故は起きるさ、ではどうすれば確率を減らせ、起きた時の被害を減らせる?」とすべき

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先日の新幹線内における放火事件で色々と、特に報道姿勢の上で明らかになったのは、「事故は起こすな、起こしたらアウト」という対応を求めている動き。しかしJRでは「事故は起きうる。でも起きる可能性はできるだけ減らしたいし、起きた時にどのようにすれば被害を最小限に抑えられるだろうか」を考え、それを実行に移している。むしろ今事案ではその成果が発揮されたと見て良い(人員の活用面ではまだ疑問点が多いけれど)。

これって震災以降特に問題視されている、にも関わらず浸透が進んでいない、防災と減災の概念なんだよね。防災だけならゼロか1かのシンプルな判断で済むし、ゼロである限りは被害が無いからハッピー。二分法ほど楽なものは無い。そしてゼロで無ければお払い箱。

でもそのスイッチ的な考えではゼロで無かった時の対応が大変なことになるし、いつまで経っても「リスクはゼロでない」との現実に立ち向かうことはできない。だからゼロを目指すための施策を打ち、リスク軽減を続ける一方で、ゼロで無い事態が起きても、出来る限りその被害を防ぐ「減災」の手立ても講じておく。それこそが本当の安全対策であるし、進歩にも違いない。

ところがこの「ゼロリスク理論」が、指摘の通り、ある程度組織の上層部において浸透しているから頭が痛い。いや、理由は分かる。直上の通り、二分法の方が考え方としては簡単だし、他人へのアピールもしやすい。「事故は起きません」とした方が、「事故は起きます、でもその可能性を極力減らす、そして事故の際にも被害を努力減らす工夫を続けます」とするより、不特定多数の、無垢な人にはアピール力が高い。それこそ後者の語りをしたら「事故が起きる前提でうんたら」と騒ぎ始める事だろう。

他方、今後の状況改善が先であるとして、当事者の責任をまったく無視するような姿勢が見えることも一因(明らかに自責が存在していても)。組織の仕組みの中で発生したものならともかく......。


よく引き合いに出されるこの歌だけど、映像内容はともかくとして、歌詞は随分と真実を表していたりする。その観点では、この類の子供番組ってホント、重要なんだろうなあと思ったりもする。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月23日 08:20に書いた記事です。

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