お葬式が必要な理由を考えてみる

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儀式的なものとして多少大袈裟なものでもしっかりと実行し、その行為をすることでそれぞれの心の中にしっかりとした仕切りを設ける、事実を認識させるというのが、お葬式を行う理由の一つ。訃報は受け取ったし戸籍上でも亡くなったことは確認できるのだけど、まだ今一つ死の認識ができず、式を経てようやく実感がわいてきた、という話も多いはず。まぁ葬式に関わらず、人生上の式云々のイベントってのは、多分に記憶に留めるための、現状を知るための「ハレ」的存在には違いない。

で、その考えに付加して、というか、なるほどこういう意味合いもあるのね、と感心させられたのがこの話。故人へのお別れをしに来ただけでなく、故人を中継点としてつながっていた人との縁が切れうることを認識するための場でもある、と。

家族ぐるみの付き合いの場合、特定故人が亡くなっても付き合いは続く。しかし特定の一人を中継点としてやりとりしていた場合、その人がいなくなれば関係も無くなるのがオチ。人と人との縁を支えていた交流点が無くなることの認識と、別れをする場でもあるという次第。

縁は色々な接点を通して複雑に絡み合う。その一方、中継点が切れれば容易に断絶してしまう。お葬式はその断絶の儀式でもあるのかな、という気もする。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月 9日 06:48に書いた記事です。

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