単に「何でできない」よりも「本気出せばできるはずなのに手を抜いているんだね」と持ち上げてから叱った方が良いという話

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これは以前にも似たような話を取り上げたし、ケースバイケースな感じですべての状況においてテンプレートとして役立つわけではないのだけど、昨今の若年層は特に情報過多と均一化の波に飲まれて、自分の自我、個性を他人に認めてもらいたい面が強く心理的な部分として影響しているので、効果的なのだろうな、という話。

単純に怒られると、行為そのものの失態に加えて自分の否定までされているようになり、モチベーションが吸い取られてしまう。他方、一度持ち上げて個の特性を認めたうえで、その特性があるのならできるはずだよねと諭すと、「個人としての自分を認めてもらった」「しかも高い能力を有していると判断されている」「怒られているけれど、同時に期待をされている」とも解釈できるので、やる気が全然違ってくるとの話。

考えてみれば前者は単に直接対象の行動のみを見た上での反応だけと、後者は日頃から見ている事を同時に伝えているからね。


これは多分に太鼓持ち的な話で、あまり濫用すると一つ一つの言葉が軽くなってしまい、逆に茶化されていると思われるリスクがある。ただ、ネット上での話ならその可能性は高いけれど、リアルでその場で語られれば、悪い気はしない。完全にこれまでの経験を記憶しているわけじゃないからね。まぁ、ほめるべき時にはほめる、怒る......というよりは叱る時には喚起させる形を取るってことかな。


ただし使い方、タイミングを間違えると、こんな感じでさらなる悪寒をもたらすことになる。何か凶報を伝える前には必ずお決まりの言い回しを使うとかってのも良い例。やり方を変えるつもりがあるのなら、少しずつ変えていかなきゃ、だね。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月29日 08:14に書いた記事です。

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