初心者をフルボッコにする上級者は市場そのものを食い散らかすのと同じ...多人数が参加できるゲームにおける不文律

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今件は直前に別途ゲームセンターでのトラブルが話題となり、それがトリガーとなっているのだけど(ゲームセンターで初心者をフルボッコにするのが楽しい的な事を自慢話していたら、そのゲームセンターの関係者が出てきて「あかんやん」とツッコミを入れた事案)。不文律との表現はいくぶん語弊があるかもしれないけど、そしてネット系のゲームに限らず、不特定多数が参加しうる遊びにおいてはすべてで必要な考え方。

競技として、個々のスキルをアップするため、修練するために技術を高めたいとする発想自身はかまわないし、技術が向上することで出来る事が増えて一層面白くなるのならプレイのやる気も高まるって場合も多いのだろうけど。それを強要されるのは、遊びとしては視野の狭いものとする考え方。まぁ、成長プロセスが楽しみなゲームも多いので慎重な見方をすべきではあるんだけど、例えばコインを一個入れて、初心者では30秒も持たなかったり、対戦ゲームで上級者が初心者をパンチングマシンのように繰り返しフルボッコし、さらにののしりの声を浴びせるってのは、上手い人自身は面白いかもしれないけれど、初心者にとっては心が折れる話ではある。特に、個人技術の差が出やすい格闘ゲームでは、この類の話は良く出てくる。

ただ記憶の限りでは、ゲームセンターによっては指摘されているような一人プレイ専用台とか、乱入禁止台の用意はされていたはず。全部が全部ではないけれどね。


結局のところ、格闘ゲームで顕著とはあるけれど、どのような場においても、空気を読むことと、各状況向けの場を用意することってのが肝要なのかな。大相撲の春場所とかで子供が本試合に参加したら、やはり全力で対峙する必要はあるけれど、子供向けのイベントにおいては力士が色々と教えてあげて、場合によってはわざと負けてあげるのも一つの手。プロ野球でプロチーム同士が全力で戦うのは当然だけど、子供のチームとの親善試合ならそこまでやる必要はない。

まぁ、多分にゲームの仕様に寄りけりではあるのだけど(ソーシャルゲームの場合には直接他人と対峙できる場面や要素を減らし、上手い人に初心者がじゅうりんされないような仕組みを施しているものが多い。あくまでもゆるいつながりということ)、新たにゲームをはじめたいと考えている初心者の芽を摘むような行為は、摘む人本人は面白いかもしれないけれど、場自身を枯らす行為に違いない。種もみ食ったらあかんよ、ということ。その辺の概念が頭の中にしっかりとあれば、乱暴なことは出来ないはずなんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月28日 06:38に書いた記事です。

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