「ソーシャルゲームが無課金に厳しい」と寿司屋でのガリと

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ソーシャルゲーム...元々は多人数同時参加型も含めたネットワーク系ゲームのうち、操作が比較的簡単なもの、他人とのつながりが緩いものだったんだけど、今ではほぼ表現上の立場が逆転してしまった感じがする...では、ビジネスモデルは大よそ「課金+追加課金」よりも「無料でプレイ可能+でも気持ち良く遊びたかったら課金ばしばし」だったりする。これが比較的上手く行っている現状があるので、物理媒体のゲームソフトでもそれに近い様式をこっそり導入しようとして、思いっきり反発を食らっているところもあるのが現状。

で、そのような状況では、本質面でオモシロさを覚えるソーシャルゲームに対し、でも課金をしないでいるとバランス的に難しいって状況に対し、主に運用側の心境としての感想が「無課金者を寿司屋でガリだけ食って帰る客」。ああ、これは良くわかる。あるいは某カレーショップでトッピング無しの素のカレーのみとか、シュリンクしまくりの本屋で立ち読みとか、遊園地で入園は無料だけど各アトラクションは有料だとか。まぁこの辺りはバランスの問題もあるし、遊園地の例なら「入園して無料の部分を体感するだけで十分楽しいじゃん」ってのならそれはそれで良し。


一方でこんな話も納得がいく。本来の楽しさを味わうには課金が前提。その課金が値の張るもの、費用対効果ではそろばん勘定の上で首を傾げてしまいそうなものには、無料部分でも躊躇してしまう。そしてその遊園地に入らなくても時間をつぶせる、楽しめるものが山ほどあるのなら、わざわざそれを選ばなくても良い。

この辺のバランスって結構難しい。プロモーションなどで別ルートで売上を上げれば良い、あるいは大規模なセクションの一部門で採算度外視で構わないって場合はともかく、ある程度の売り上げを得なければビジネスとして回転しないから、サービス自身の運用は不可能。となれば無料でプレイさせるのならば一定量の課金者が現れねばならない。ところが課金をあからさまにしすぎると、皆引いてしまう。あくまでも「無料でそこそこ楽しめて、没頭してしまい、つい『もっと良いものを、良い条件を』と求めた時に、課金でそれが果たせる」という状況を導く必要がある、運用側には求められている。

例えばドラクエで、最初の「ひのきのぼう」「かわのぼうし」から課金を求められたら皆めげてしまうけれど、ちょっと進んできた時に、普通ならば「どうのつるぎ」位が手に入れば良い状況で「はがねのつるぎ」が課金で手に入るとしたら考えてしまう。船を手に入れた時に、普通の二倍速で走れる動力が課金でゲットできるのならどうだろう。

この辺りのバランスはケースバイケースで、常にプレイヤー側の心境を実数値の動向で推し量りながら、調整をしていく必要がある。そして以前も触れたけれど、ソーシャルゲームの類では一度離れたユーザーはまず帰ってこない。下手をすると実社会における経済施策よりも難しいかじ取りのスキルが求められているんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月31日 08:51に書いた記事です。

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