積みゲーの高さは徳の高さだとする説

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ゲームに限らず書籍や雑誌、プラモデル、フィギュア、映像ソフトなど、いわゆるエンタメ系の物品ではよくある事象として、購入した時点で満足してしまい、中身を堪能せずに積み上げ、その状況を観てさらに満足するという、積みゲー的な事案が発生することはよくある話。ある意味、その高さがステータスであるとする考え方もあるし、それが目に留まる範囲でストックされていることに安心感を覚える人も居る。お金を銀行などに預けずに金庫に収めて目に留めないと気が済まないとか、冷蔵庫の中に食材がぎっしり詰まっているとそれだけで安心感を覚えるとか。

で、コンテンツ周りに関しては、例えば第三者に譲渡したり廃棄すると話は別になるし、ないがしろに扱われれば作り手としては非常に複雑な気持ちにならざるを得ない部分もあるのだけど、積んでおく......少なくとも保管している限りにおいては、指摘のような意味合いも多分にある。要は投資であり、信頼の証であり、実商品は証券みたいなもの。ただし兌換性は無い。でも新品であれば、確実にその意志は作り手側に届いている。雑誌とか単行本も同じだね。

だから積みゲーなり積みプラモの高さが、徳の高さに匹敵するとの考えは、あながち単なる笑い話とも言い切れない。むしろそう考えることで、救われる魂もあるんじゃないかな、と大袈裟な考えまでしてみたりする(汗)。


あー。これはどうだろう(笑)。積み電子音源、楽曲なんてのもあるんじゃないかな。これはデスクトップなり管理用のファイル一覧が煩雑になるので、良かれ悪しかれのところがあるのかも。そしてこれに関しては、以前楽曲周りの市場の記事でも触れているけれど、その徳......じゃなくて積まれる書籍やアプリが増えてくると、その保有状態だけでお腹いっぱい感が生じてくるという問題も発生する。徳が積まれ過ぎて悟りを開いてしまい、新たなコンテンツへの意欲が減退するというもの。

この徳理論と悟りの考えならば、コンテンツの充実による購入意欲の減退ってのもある程度理解は出来る気がする。一方で、物理的な積みゲーやら積みプラモでは、いくら徳を積んでも満足せずに買い続けるってのも不思議な話ではあるのだけどね。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年5月29日 07:50に書いた記事です。

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