シナモンへの嫌がらせに「社会の闇」云々ではなく、いじめの構造の本筋を見た

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ちょいと破天荒なアクションを見せながらも基本的には愛らしさをアピールすることで知られるシナモンのツイッター公式アカウントにおいて、先日多人数が同時にブロックされる(ツイートを観る事が出来ないようにする、要は特定の人に対する「もう私のことを見ないで」宣言)事態があった。で、単にブロックしたのならともかく、ブロック対象者が過激な嫌がらせをしていたことから、大きな騒ぎになった次第。


今件では再精査の限りが無いので具体的な抽出はしないでおくけれど、ブロックされた対象のアカウント同士は浅からぬ関係がある傾向が見受けられたり、行動性向の上で似たような流れがあったりと、要は属性的に近しい人たちである部分が多分にあったとのこと。恐らくは確率論的にどのような場合にでも生じるイレギュラー的な存在が、特定環境下においていくぶん増殖した上で、ネット特有の傾向の一つである「可視化」が顕著化した結果ではないかな、と。

一方で、ある行動に対し、その行動が一見すると違法・不法行為であったり、倫理的に問題がある内容でも、反論をはじめとした否定的アクションが無い場合、無言の承認と受け止める場合があるとの指摘は、まさにその通り。要は学習してしまう。そして一定量が集まると、相手の反応を楽しむ人も確率的に登場するし、その反応は容易に伝播しうる。

いじめ的行動を受けた場合、反応することで得られるメリットと、浪費するリソースを天秤にかけて、どうやっても割が合わないから、見なかったことにする、スルーするってのは一つの選択肢としてありうる。ただ今件が良い例ではあるけれど、悪い意味での「学習」が積み重ねられることがある。結局、いじめを受けた側が損を覚悟で対処しなければならないってのは、何だか理不尽な気がするけれど。それでも「学習」させたらいけないんだよね。

でもよく考えてみると、嫌がらせの過程で「それは変だろう?」的な指摘を、シナモン以外の第三者がしなかった、少なくとも止めるまでには至らなったって状況を考えると、嫌がらせをした側においても、適切なアドバイスをし得る人が周囲にいなかったということで。それはそれで不幸な話なのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月18日 07:29に書いた記事です。

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