電子書籍とコストの問題を色々と考えてみる

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昨今では紙媒体の書籍を手掛ける作業でも多分に電子化が進んでいるので、単純にPDF化するだけならあまり手間をかけずに紙媒体版と電子版を連動する形で刊行できる。もちろん電子書籍版を専用のツールで読ませたり、電子書籍ならではの見せ方をしようとすると、それなりに手間がかかるけれど。

ただ、完全フリーでネット界隈に放り投げ、もう誰でもいいから共有してねってのならともかく、版元などががっつりと保全し配信し続けるためには、それこそネットゲームの管理運営のようなメンテコストが発生する。言われている通り「知の共有」はただでは無い(このあたり、最近問題視されている「フリーライド」的な考えを持つ人は理解していない感が強い)。

で、慈善事業なり公的機関の仕組みで無い限り、コストが売り上げを上回ってしまえば、人はそれを続けることが難しくなる。技術だけならすでに構築されている。なぜ難しい状況なのかといえば、それは採算が取れないから。


これは指摘されてはっ、となる人も多いだろうし、いわゆる「自炊」をしている人はおぼろげながらに理解しているとは思うけど。これから刊行される書籍はともかく、過去の書籍について電子化が進まないのは、その作業に投入するリソースに対し、対価が望めないから。ぶっちゃけると「儲からないどころか損をするから」。


ある程度デジタル化されている原稿でもそれなりに手間がかかればコストは発生する。ましてや紙ベースでの原稿ならどこまでかかるのだろうか、下手をするともう一度ゼロから本を作り直すぐらい!? みたいな。

「依頼されて作業する校正、デザイン、編集諸作業なんかの場合は、「作業に発生する報酬」は、自己責任で売れない本に関わったら貰えない、ってわけにはいかないからなあ」とあるけれど、(今はどうなってるかは知らないけれど)携帯電話関連のコンテンツではそれに近いことがまかり通っていた時代があった。アプリの実制作のコストは、そのアプリの運用で得られた売り上げの何%をロイヤリティの形で云々ってやつね。コストそのものの定額支払いとは別にならいいんだけど、定額支払い部分がゼロ、あるいは殆ど無しって感じのもある。説明に曰く「アプリの人気が出るか否かは出来栄え次第なんだから、作り手側にも責任を負ってもらう必要がある」。今から考えてみれば、それは企画する側の問題とかプロモーションの良し悪しも多分にあるから、制作にのみ責任を丸投げってのはどうなのよ、とか思うのだけど。


電子書籍の話となると、未来的な可能性のきらびやかさとか、時折登場する大成功事例がよく目に留まるけれど、上記説明を読めば分かる通り、大抵は大変なことになる。これも多分に携帯電話のアプリ市場に近い部分があるのだけど、要は損益分岐点が低く、当たりハズレが大きいってこと。一度歯車が回り始めれば儲けの勾配が大きいのでボンガボンガ儲けられるけれど、大抵はそこまで達する事ができずにジリ貧となる。

一方で個人ベースならともかく企業単位、業界単位で考えると、儲けが出そうなものだけを電子化するってのは色々と問題が生じてくる。ましてや二度手間でリスクが大きい、旧来の書籍を電子化するとなれば、という感じ。

この辺りは例えば、公的機関が版権を買い取り、公金で電子化を果たし、元の権利所有者と利益を折半する的な感じにするってような、電子書籍化を促進する仕組みが必要な気がするのだけどね。例の絶版マンガ図書館も一つのモデルとして注目すべきだろうし。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月17日 07:02に書いた記事です。

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