ピアノの先生の教育方針に見る「本当の教育」というもの

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子供のうちは色々な賞を総なめしたにも関わらず、成長するに連れて他の子供の中に埋もれてしまい、成人に至るに「その他大勢」的な存在になってしまう。昔は神童、今はただの人、みたいな。実の所この類の話はあちこちで見聞きする。「あくまでも狭いコミュニティの中では優れているように見えるけど、大きな母体の中ではごく普通の、ちょっと良い程度の存在ってことなのかな」とこれまでは思っていたのだけど、今件の指摘で、色々と合点がいった。

確かに子供、幼少時は柔軟性が極めて高く吸収力もスポンジのように長けているので、パターン化したものを教え込ませればそれを習得してしまう可能性は高い。それは生物にとって生き延びるための知恵でもある。今後長い間生きていくために必要な知識を一刻も早く習得するため、記憶力、習得力に長ける必要がある。だから「これをやればほめられる、賞が採れる」という様式があれば、それを教え込ませればパターンに乗れる次第。

今件はピアノの話だけれど、例えばテスト勉強として「この先生はこの類の話を問題として出しやい」ってのを覚えておくと高い点は採れるけれど、テストが終わればからきし忘れてしまう。でも教科書や問題集を使って全体的に勉強したものは、テストが終わっても残っている。基礎力として身につくから。暗記モノもそう。特定部分だけ、テストに出そうな部分だけってことで覚えると、大抵終わった瞬間に脳内から消失してしまう。


問題なのはこの指摘の事例の場合、「賞をとれる」に固執した先生側がそれを問題のある手法だと認識していないこと。むしろ正しい、誇らしいものである、正当性のあるものという考えすらもっているかもしれない(まぁ、気持ちは分からないでもない。テンプレ化できるし、金は稼ぎやすいし、短期間で結果は出るし、結果が出ればご褒美ももらえる)。賞にしても試験にしても、それを取得したりクリアすることは最大の目的では無くて、そこからが本当の地獄、じゃなくてスタートなのに、そこでエネルギーを消耗しつくしてしまう。燃え尽き症候群みたいな感じ。

自分自身のやり方、切り口としてはもちろんだけれど、第三者への教示の機会がある場合にも、 「伝統的なメソッド vs 新しいメソッド」の話は一度ならずとも目を通しておいた方がよいんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月16日 08:37に書いた記事です。

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