暗記中心の基礎教育はそれなり以上の価値がある、役に立たないなんてのはウソだッ

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具体的に何を指しての指摘なのかは複数思い当たる筋があるし、どれかを特定した話でもないような気はするのだけど、特に日本ではこの「基礎教育、学問、研究」部分への軽視の傾向があるので、ちょいと覚え書きも兼ねて。

暗記中心の基礎教育を軽んじる、ないがしろにする、優先順位を下げるってのがカッコイイ、個性豊かにする、教育の本質だ云々ってのが提起され、それの体現化がかつての「ゆとり教育」みたいなものだったのかなあ、という感はあるけれど、個人的には例の「文化大革命」ばりのマイナスレベルの破壊力があったという感想。もちろん効果もあったけれど、プラスマイナスを天秤にかければ、マイナスの皿の方が思いっきり下がりまくるに違いない。

柔軟な発想力は基礎部分の知識が無ければ創生できない。自由な造形を積み木で作るにしても、元々の積み木のパーツが無ければ出来ないし、形の組合せによっては安定感が無い状態となるなどの経験や知識が無ければ、発想を体現化できない。いや発想そのものも難しくなる。

先日の「高校時代の家庭科の教科書が必要」云々って話にも通じるところがあるな。基本は大切。そして基本は多分に暗記となる。

基礎教育ってのは先人の知恵が凝縮された「虎の巻」。昔、ある漫画で読んだ言い回しに近いものがある(ちょいと書庫に埋まっていて見つからない)。同じものをゼロから習得すると、やはり同じ位の時間と努力が必要。それを数年でゲットできるのだから、これほどステキで公認されたインチキ技は無い。軽んじるのはスットコドッコイ。だからこそ、先人の技術、権威は大切にしなきゃならないし、それを悪用するのは許し難い所業に他ならない。


正にそんな感じ。詰め込みと言われようが何だろうが、それが効果的なものだったことに違いは無い。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月 7日 08:04に書いた記事です。

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