子供がお痛をしたら「親の責任」、ならば子供全体の凶悪化を唱えたら「親世代の責任」では?

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先日から例の中学生事案に絡んで、子供の犯罪の凶悪化やら少年法やらの話が色々と出回っていて、文化人や知識人な方々が次々とドヤ顔しながら「最近の子供の犯罪は凶悪化しています。だから少年法を改正してもっとしつけねば」的な話を見聞きする。

少年世代における犯罪動向は、数々の統計によりむしろ減少していることが明らかにされている。これは単に数量的な話だけでなく、人数比率でもいえること。子供の数が減っているから件数も減っていて当然云々っていうロジックは通用しない。この辺りは時間があれば統計値をがっつりとまとめたいのだけれど。とりあえず犯罪白書のデータを提示しておくということで。

で、指摘の通り、特定の子供のお痛について、その保護管理責任を問うような形で親にも責任が生じるというのなら、昨今の「子供の犯罪の多発化、凶悪化」云々を語る場合、概してそれを語る立場にある親世代自身が責を負う必要があるのではないかなあ、という感はある。元々凶悪化していないし数字の上でも増えていないのだから、責云々は実数値以上はないのだけれど。

つまり「本来は無いはずの問題を、その問題の責の一端を負う立場にある人たちが必至に追求し、かつ自分達は蚊帳の外に居て責任は無いかのように振る舞う」という、奇妙な状況にある次第。ああ、昨今の一連の問題の違和感が、これでちょっと晴れた気がする。


仮に少年犯罪の凶悪化が進行しているとすれば、それに隣接する......というか保護者的な立場にある親世代にも問題がある、と。「社会の闇」とか「社会構造全体の問題」と表して話そのものを薄める必要はないけれどね。

もっとも今件は上記の通り、実際には増加現象は起きていないわけだから、責任そのものは一定率以上は存在しない(増加した分の重責は無いということ)。ではなぜ凶悪化している云々っていう話が出て来るかというと、やはり印象論上の問題だろうな。

詳しくは以前説明と思うのだけれど、数そのものが減っている、そして情報伝達手段が浸透したことで、少数の事案が詳細に語られるようになった。いわゆる「新聞報道の行動原理「人を描け」」みたいな要因もあったんだろう。すると印象に残りやすくなるので、個々の記憶の中ではカウント数が増えてくる。実際、少年犯罪は増加・凶悪化していると語る人に、実数値を見せれば、多くは驚き、そして印象のみで語っていたことに気が付くはず。いわゆる「統計とは残酷さを打ち消す残酷さを持っている」という奴だ。

まぁ記事タイトルの通り「子供がお痛をしたら「親の責任」、ならば子供全体の凶悪化を唱えたら「親世代の責任」では」ってのは、ロジックとして覚えておくと良いかもしれない。無論個々の事例や全体的な傾向として、子供の犯罪周りをより少なく、鎮静化させるための努力は欠かせないのだけれど。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月21日 08:34に書いた記事です。

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