子供の名前にいわゆる「DQNネーム」をつけるという発想

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ネット上には話の発端となった記事や、具体的な名前の列挙も見受ける事が出来たのだけど、さすがにそれは控えおくとして。一見すると常識からは遥かかなたのベクトルに向けた、それこそ珍走団のチーム名のようなものだったり、アニメの主人公っぽいキャラクタ名だったりという、いわゆるDQNネームなるものを自分の子供につけようとしている、あるいはつけた保護者に関して。「あまりにもふざけ過ぎている」との意見が客観的、第三者的なものとして成されるけれど、恐らくは指摘の通り、当事者自身にとっては至極真面目に考えてつけているに違いない。

要は、周囲は「真面目に考える努力が足りない」という認識ではあるが、当事者は「真面目に考えている」のには違いなく、その「真面目」の方向性が異なるだけ。今件ではそれを「知性」と呼んでいる。例えるなら「100メートル走、真面目に走れよ」と言われているけれど、当人は「ちゃんと全力で走ってるよ」と反論する。けれどその当人は仮装をしていたり、逆のコースを走っていたりするという次第。

この発想、指摘されて「はっ」となる人も多いに違いない。当方もその一人。なるほどこれならはたから見て「どうして!?」と思わざるを得ない名前がつけられてしまうのかも理解できる。ヒストリエの有名なシーン「文化が違う」的なもの。


結局は感性の部分が多分にあるのだろうけれど、自らの知性、感性だけに頼ると、実は大いに世間一般の常識から外れている可能性もある。名前は言葉通り一生もの。想いを託すのは構わないけれど、同時に配慮も必要だよね。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月22日 07:14に書いた記事です。

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