報道は正確に解説をすることが責務であり、一方を批判するための機関では無い

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【平成26年度第13回定例市長記者会見記録(札幌市)】


先日「境界線なし」を自称する某ジャーナリスト......えーと、ジャーナリストを休業してたんだしゃなかったっけ、この人?......がドヤ顔でスクープとして挙げ、与党の言論弾圧だ的な印象が拡散した後、「実は他の党もやってたし、昔からそうでした」的な事が判明し、「お前がそう思うのならそうなんだろう、お前の中ではな」的な事が暴露されたものの、印象は浸透したままで、あるいはこれが目的だったんじゃないの? という三流小説的なストーリーすら脳内に書き連ねられる話。そのような与太系ストーリーラインはさておくとしても、「この期間は公平にやっている」というツッコミもあれど「それじゃ、それ以外の期間は不公平? 政治的公正を成すよう明文化されている放送法は常時適用されるんだけど?」という返しでFAとなってしまうとか、そもそも論として「法に従い公平にやれ」と指摘されて反発するってどういうこと? と一歩引いて考えると首を傾げたくなるような。

脅しと受け止める人もいるかもしれないけど、指摘されている内容を読み返し、「しないように」と言われていること、法で定められていること、公正か否かということを考え直すと、何で報道側が騒いでいるのだろうという可笑しな点に気が付くはず。「戸締り用心火の用心」「おとうさんお母さんを大切にしましょう」「一日一善」と言われて「これは弾圧だろ!」と逆切れするのと同じ。それとも心当たりでもあるのかな。


この辺りの話も、最初の「境界線なし」と同様、事実にどうとでもなる解釈を肉付けして、バッシングのネタにしたという感じなんだよね。指摘の通り。


で、この指摘にある通り、本来極力公明正大で中立な報道を常に意識し果たさねばならないはずの報道機関が、「権力に盾突く俺達、カコイイ!」的な前世紀戦後中期の学生闘争時代の思想的な方向性よろしく、政権側を意図的に批判し、バランスの取れていない、不明確不適切不正確な伝え方をする事こそが、真の報道であり公平な報道であるという誤解......というか本当の意味の上での確信犯的な考えにのっとって行動していることに、問題の根幹がある気がする。有権者≒視聴者に対する背任どころか、明らかな敵対的行為、害する行動でしかないのだけどね。

正確に、そして分かりやすく事実を伝える。一行で表現できるシンプルなことが、何でもっとスマートに出来ないのだろう。それほどまでに過去の亡霊に縛られているのだろうか。だろうな。

今件に限っても結局、


こういうことでしかないのに。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月30日 08:03に書いた記事です。

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