対話調で解説するという方法論、やった本人は後に黒歴史を認定するかもしれないけど

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最近はゲームなり工作なりの実演をしながらその様子を説明するセリフを何かに語らせて収録し、ドキュメンタリー的なものとして構成する実況動画がトレンド。気軽に動画の撮影や編集が出来るようになったのと、観ている側が楽で済むこと、ニコ動に限れば動画に同調する形で疑似リアルタイムツッコミが出来るのがポイント。仲間内でビデオを囲んで観賞会をしているような雰囲気になるんだろうな。

で、指摘の通り、対話式で解説をする類のものって面白い演出を見せるものもあれば、醒めてしまうものもある。多分に語り手側のセリフ回しの構成のベタさや、語り方そのものの切り替えの技術など、演出部分によるところが大きいのだけど、その寒さをたどったら、「ホームページ」という言葉が世の中を席巻した会話形式のウェブサイト。......って今でも多分にあるけどね。


コンテンツの作り手と登場キャラの会話ってのは一種の夢でもあるし、その夢を疑似的にでも体現できるとあれば、そりゃ嬉しいに決まってる。でも大抵は若気の至りとなってしまうため、後で冷静さを取り戻して見直すと、昔の自分が書いたポエミーな文章を音読させられるような気分に陥る。すげー分かる。

ただ、会話形式による説明は、作り手側の夢の実現や技術的な稚拙さ云々は別にして、ある意味では当然、または賢い手法との見方もある。


指摘の通り主人公目線で画面構成が成されているギャルゲー......に限らずアドベンチャーゲーム一般の延長だと見ればその通りで、今流行の「艦これ」にしても似たようなもの。「艦これ
」の二次創作系の漫画で提督自身が登場したとたんに違和感を覚えるという意見も少なからず見聞きするけど、それはこれが原因ではないかな、と。

また、会話形式での説明は、作り手と二次キャラのやり取りに限らず、分かりやすく物事を説明するための手法の一つでもある。官公庁の解説ページでも良く、博士的なキャラと子供達との対話で説明していく手法が用いられているからね。

一方で対話型のスタイルに陳腐さ、寒さを覚えるって意見が増えてきたのは、一つにその形状(相手はともかく)がかなり普及してきたのもあると思う。ツイッターやFacebookはまだしも、LINEは見た目そのままだからねえ。やり取りも半ば以上対話によるものだから。

個人的には好きなんだけどね、このやり方。手間がかかるし容量の割に説明できることが案外少ないので、なかなか使う場面が無いのだけど。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月14日 07:30に書いた記事です。

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