「若者の自動車離れ」の本質を理解できない売り手側

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先日の【自動車産業曰く「若者のクルマ離れが深刻。僕らを助けて下さい」→それじゃ若者の手取りを倍増したらどうかな?】で用いた元記事でも感じた話。近郊都市圏で生活のために自動車が必要不可欠な人でも、その自動車のグレードを軽にしていることからも分かるように、自動車の相対的コストの上昇や、必要な場面の限定、生活環境の変化に伴うパフォーマンスの減少は確実に進行している。「欲しい」と思っているのは事実に違いないけれど、その優先順位は間違いなく下がっている。でもその事実を「若者の自動車離れ」を叫び、頭を痛めている人たちの多くは気が付かない、理解していない。それこそが一番の問題点ではないかな、という指摘。

正しくそんな感じ。自分達の過去の基準で今の若者の心境を図ろうとしても無理があるのよね。データとかを提示しても理解してもらえないあたりが涙だったり。感情論が先に来るから。


これは一例ではあるけど、相対的価値観が変わっているという点で、非常に良くわかる事例ではある。

例えば餃子好きな人が、本当は毎日でも美味しい餃子を専門店などで食べたいけど、お金周りが厳しかったら我慢するし、あるいはスーパーなどの安売りの餃子やコンビニので代替しちゃう。コーヒー好きでも本当ならこだわりの豆を選んで毎日少しずつ挽いて飲みたいし、あるいは専門店に足を運びたい。でも懐が厳しければ我慢したり、缶コーヒーやコンビニコーヒーで代替する。しかもコンビニのはそれなりに品質が良いので、十分以上に代替品となる。

要は選択の際、意思決定の際の各種変数において、もっとも大きな要因となるお金周り、コストパフォーマンスの点で、初期設定となる金銭部分が厳しくなったから、選択の幅が狭まったということなのよね。選択のその時においても、先を見越した将来の点においても。

小遣いが減ったら通勤の途中で買っていた、好きな連載漫画が載っていた週刊誌の購入をあきらめる。代替品としてスマホのニュースやウェブ漫画、ソーシャルメディアは十分に頼りになる。雑誌も売れなくなる。で「雑誌離れ云々」と言われても仕方がない。無い袖は振れない。振る袖を下さい。

もっとも雑誌の場合は、振る袖が用意されても雑誌方面に袖を振るかどうかは分からない。コスパの点で、得られる便益の変数が変わっているので、「このお金があるんなら有料アプリ買うわ」となるのだろう。

自動車にしても、優先順位、コスパの観点で、近郊都市に住む人は都心部に住む人よりも優先順位が高いので、自動車そのものに手を出すことになる...けど、普通自動車よりは軽自動車に手を出す。この便益なら、この対価までなら釣り合うなという天秤勘定で、自動車側に乗せられるおもりの量が減っているんだよね。だから普通自動車までには届かず、軽自動車で折り合いをつけてしまうことになる。

...自動車メーカーの上層部の方々って、「これなら売れる」ではなく「これを売りたい」の方ばかり向いているのかもしれない。そして「こっち向け、ゴルァ」的な状況なのではないかな、多分に。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月21日 07:54に書いた記事です。

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