欠席ゼロ運動なんてのがあったのか......と「給食残さず食べなさい」のトラウマ

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学校やクラス単位での「偉業」を果たすために個々の子供に必要以上の負荷をかけさせる感が強く、個人ベースでの人権周りの話を大切にする風潮が出てきた昨今ではあまり聞かなくなったかな......という雰囲気ではあったのだけど、昨今またちらほらと表だって出てきたようで、こういう話も目に留まるようになった。

運動会・体育祭のように全体芸・一体感の披露ってものの延長にあるものと考えれば納得はいくのだけど、そこで無理をさせたら身もふたもない。あるいは大人による、このような強要が、以前本家サイトで【日本は高め、「自国民としての誇り」「何か役立つと思うことをしたい」諸外国での違い】などでも触れている、諸外国と比べて日本が異様なまでに「集団の中の一員として初めて一人一人の存在意義が生じる」という考えに結びつくことになるのかもしれない、とも思ったりして。下手に休むとずっと責められる、いじめられるかもしれないというプレッシャーは、半ば強制みたいなものだよな。


欠席ゼロ問題は指摘の通り、給食を残さず食べましょう問題とも本質的には同じ。好き嫌いをなくす、食べ物を大切にする、作った人たちの心境を思いやる。これはとても大切で、教育の上では欠かせない(食育ってやつだ)。ただそれを強要しすぎると、単なる拷問と何ら変わりないものとなってしまう。いじめとしつけの境界線を間違って線引きしちゃいけないということ(個人的にも体験が何度もあるので、多分なトラウマになっている)。






個人の資質や実情を超えて、虚空の信念を押し通そうとして逆上するあたりは、悪質系な新興宗教などと何ら変わりはないように第三者から見えてくる。喘息についても、当方も幼いころ罹患していたので、辛さが良くわかるだけに、この運動強要者の意見の怖さ、恐ろしさが肌身に感じられる。

直上で触れた「いじめとしつけの境界線」を上手く引けない大人が増えてきちゃってるんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月11日 08:04に書いた記事です。

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