震災後のGoogle Crisis Responseの怒涛の機能追加、その内情が語られた

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【東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)Google Crisis Response】



3月11日金曜日。東日本大震災の直後から、六本木ヒルズ(東京都港区)26階にあるGoogle日本法人のオフィスの一角に、技術者など十数人のスタッフが集まっていた。小さなこたつ机を囲み、ひざを突き合わせる。「われわれに何ができるのか」――真剣な議論と開発の日々が始まっていた。

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●「いかに早くリリースするか」 オフィスを小走りで移動、リポDの山も

こたつ机を囲んだメンバーの1人が牧田信弘プロダクトマネージャーだ。普段はモバイル向けGoogleマップを担当しているが、地震後はすぐに米国オフィスと連絡を取った同僚とともに、人の消息情報を登録・検索できる「Person Finder」の準備に取り掛かった。

Person Finderは、昨年1月のハイチ地震の際にGoogleが公開したシステム。昨年2月のチリ地震や今年2月のニュージーランド地震でも利用されている。牧田さんらはPerson Finderのユーザインタフェースを日本語化し、地震から2時間足らずで公開した。

被災地からも手軽にアクセスできるよう、すぐに携帯電話版の開発にも着手。その日のうちにリリースした。口頭で伝えやすいよう、Person Finderの短縮URL「http://goo.gl/sagas」も準備したほか、災害情報をまとめた特設ページも用意した。

牧田さんらはオフィスに泊まりこみ、睡眠もほとんどとらず、開発を続けていた。「いかに早く(サービスを)立ち上げるか」に注力。「1分1秒でも惜しい」と、オフィスで10メートルほどの距離を移動するにも小走りだった。「直接話したほうが早い」と、打ち合わせはチャットを使わず、顔を見ながら進めた。「ベース(基地)だった」というこたつ机には、栄養ドリンク剤「リポビタンD」の山ができた。


詳細は元記事で。ドキュメンタリーとしても読みごたえのあるものだから、是非とも。震災後に矢継ぎ早に、多種多様な機能を展開するものだから、てっきりハイチ地震などである程度ベースを構築してあって、それをこういう時に使えるようパッケージ化してあるかと思ってたんだけど、実はそれだけじゃなく「既存のリソースをどのように使ってもらえるか、役立てるものを提供できるか」ってのを時間的に圧縮する形で、突貫工事で作ってたわけだ。

自社の経営資源を活用するという点では他企業の支援と何ら変わるところはないけど、Googleの特徴・長所を活かし、他社には出来ない、自社だからできることってなんだろうというのを素早く見極め、その効果の極大化を推し進めるために何をすべきかを的確に判断し、実行したってことが良く分かる。

それともう一つ。有事の際にやっぱり最後に頼れるのは「人」、厳密にいえば「人財」ともいえる「人材」なんだなあ、ってこと。

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このページは、不破雷蔵が2011年4月 6日 08:34に書いた記事です。

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