「それは世間が、ゆるさない」「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」

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先行記事【宮澤議員のSMバー問題で青木先生曰く「どの報道を読んでも何が悪かったのか分らない」】でちょいと触れていた件。成文法による明確なガイドラインに伴う批評ではなく、多分に感情論に訴えかける煽動的な報道の様式として、「世間が」「反発の意見が」「話題に」といった言い回しを使い、報道サイド自身の指摘では無く、世間一般が騒ぎそうな気がするよ的なニュアンスで「世間様が問題視されるのだらか良くない」的な表現を使うことがしばしばある。でもこれって、実の所、上の表記にある通り、報じた側自身の意図であり、それを不特定多数にも共感させ、煽り立てたいという意図によるものではないの? という話。

実はこの言い回し、先に表紙部分を「デスノート」の中の人に書いてもらったら大いに売れまくったことでも知られている、太宰治の「人間失格」の一場面。現在は版権フリーなので、青空文庫でも取得が出来る。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」  世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか」  という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

 汝(なんじ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(あくらつ)、古狸(ふるだぬき)性、妖婆(ようば)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗(ひやあせ)、冷汗」
 と言って笑っただけでした。
 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。


小説の一部分ではあるけれど、非常に的確に今件......も含めた報道周りの「ハテナ」に関する答えを呈してくれている。「世間が許さない」「世間では無く、あなたが許さないのでしょう?」、そして報道の場合はそれを不特定多数の第三者にも伝えることで、他人と異なることを嫌う性質を持つ人たちに緩やかな同意を得させ、世論形成・誘導を試みようとする。

新聞やテレビでこの類の言い回しがあれば、逐次それは書き手側の意見・主張であると読み替えると、「人間失格」の主人公のように「世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました」的な形になれるかもしれない。

ちなみにこの手法、何かを否定したり非難するときに、発言の主語を自分ではなく「世間」「世論」「被災者の方」「事件の被害者」「他のお客様」「ウチの会社」「このサイトのユーザ」など多人数であやふやなものに置き換えることで、発言の正当性を強調しつつ自分の発言の責任を回避すること。問題は、その集団の意見を勝手に代弁する点にある。


とある。なるほどねえ。思い当たる節がありまくり。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月25日 08:14に書いた記事です。

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