「税収を安定させる」は「経済政策を放棄する」に等しい

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これは何度となく繰り返し強調しているのだけど、財政政策も金融政策も経済政策もつまるところ、国の経済、しいては社会を安定化させるための道具でしかない。それぞれの政策は道具であり、目的ではないということ。道具のために目的を打ち壊してしまっては何の意味もない。

「税収を安定させる」というのもその一例。財政を安定させるのは、その道具自身にとっては大切なことで最優先課題かもしれないけど、道具を使う人にとっては手段でしかない。浮輪が大切だからといって、人がおぼれかけている時にも汚れるから、壊れてしまうかもしれないからと棚から出さずに保管したままにしておいたのでは、何の意味もないどころか無能として責められることになる。

財政を直接管理する側にしてみれば、税収が安定した方がよいに決まっている。楽だから。面倒なことを考えなくても済むから。しかしそれでは財政を道具として扱い、国を安定化させる治世者にとってはやっかいなことになる。釘を打とうとするたびに「すり減るから、痛むから使うな」と騒いでくるトンカチは、どれほど使いにくいか。保険料はもったいないからかけるな、傘代とかタクシー代がもったいないから雨の中でも走っていけ、風邪薬代や治療費がもったいないから風邪を引いても我慢して通勤しろ。無茶苦茶ではある。

国そのものの安寧と、財務の安寧。「税収を安定させる」という言葉で、どちらを向いているかが分かってしまうものなのだな。体が健康ならば死んでもよいとか、勘弁ではある。

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このページは、不破雷蔵が2020年7月19日 07:15に書いた記事です。

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