オリンピック閉会式での都知事の着物と「良いもの」を見る目と

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陛下の呼び方はさておくとして。オリンピック閉会式での都知事の着物着用の件は色々と「安倍マリオ」とは別の切り口で注目を集めたようで。「覚悟のススメ」的なキーワードが当方の頭の中にはぽわりと浮かんできて、ああこれだけでも都知事選はやった価値があったのかもしれないと思ったりして(先の都知事選では他にも色々な意味はあったけどね、もちろん)。

無駄遣いと必要な場面での消費ってのは別もの。これはお金周りの話ではよく聞く言い回しではあるのだけど。いざという時には普段は使わないような消費をしたり、覚悟を決める必要がある。短期間的には金銭面で損をしたってことになるかもしれないけど、中長期的には十分そろばん勘定が合う、そんな場面は結構ある。普通の着物とはけた違いのもので、どうもあの後根本的なレベルでのメンテが必要になったようだけど、それだけの価値はある瞬間だったという感はある。指摘の通り、少なくとも政治的価値はあった。


加え。良いものを使いこなす人はさほど多くないため大切にする必要があるし、その使いこなしは正当な評価が必要。さらに良いものか否かを判断するのには、普段から良いものに触れておく、雰囲気を感じ取っておくのが欠かせない。数量的、物理的なレベルでの違いが把握できるのは当然だけど(ブランド物のバッグと偽物の違いとか)、それ以外にも雰囲気というか、数字には表現しにくいあれこれを、雰囲気としてつかみ取る事が出来る。「安物しか見てなかったら、安物しか判らない人に育ちます」。「王様の仕立て屋」で何度となく語られている話ではある。

一番簡単な例は、良作と言われている作品を色々と読み進めていると、良いものとそうでないものの違いが何となく直観、というか数字的なものとしての判断以外で分かってくるというもの。当然、第一印象ではダメダメでも、読み進めていったら良いものでしたってこともあるのだけどね。

そして良いものってのは書籍に限らず何においても、相応の対価が求められる。これは作り手側の手間などがあるから当然の話。しかし消費する人がいなければ、採算が取れない、創り手が生きていけなくなるので、生産が止まってしまう。これを避けるためには、財力のある人に良いものを見て、調達してもらう必要がある。まあ、パトロン的な考えというと色々と賛否両論があるかもしれないけど、直接的な金銭支援でのパトロン以外にも、ホンモノ志向の高級品を購入する事は、間接的に市場を、その良い物自身を支えているという矜持があるからってのも理由に挙げても良い。

で、このような話になると、高級品を持っていることに嫉妬的な話が出てくる。まぁ、いいなあ、羨ましいなあと羨ましがること自体は良いのだけど、そこからネガティブな方向性、嫉妬や妬みに走って叩くのは、あまり趣味が良いとはいえない。それをやって何か得になるのか。自分のもやもや感を解消するだけでしかないんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月24日 07:24に書いた記事です。

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